毎日が本番

ライフログ

ふだんと同じ一日をおくることができる幸せ

日曜の稽古のあと、

電話で遠方の先輩と話したり、

タラの芽の天ぷらを作って食べたりして

お風呂に入って大河ドラマを見て、ドラゴン桜をさあみようかというとき

電話で連絡があった。

 

高熱と意識不明で搬送、、延命をするかどうか、と救急隊に聞かれたとのこと(コロナ禍では誰でも聞くのかもしれないが)。

結果はコロナ陰性、誤嚥系の症状だったが、

覚悟をしなくては、という気持ちになった。

 

万が一のときは、明日会社は、、とか、気持ちが落ち着かないで講座とかできるか、、とかそういうことを思った。

 

まだ、気持ちが整わないから、今すぐにしないで、と強く思った。

 

毎日、だるかったり、くたびれたり、面倒くさかったりしているが

こういうふだんの生活になれていて、

細かい差異はいろいろあるけれど、会社に行って、講座をしたりメール対応したり

稽古をしたり、買い物にいったり、掃除したり片づけたり、ご飯を食べたり

をしていることに、コロナであってもすっかりすっかりなれていて、

両親が亡くなった時のドヤドヤ加減は、もういきなりがんばれない、と思った。

 

いろいろ面倒くさくても、だるくても、それでもこの生活がとてもしあわせなことに気づいた。

 

そして、そろそろ覚悟しないといけないと思った。

 

※GW中の稽古のあとから、私が求めるつかい方が追及できないなら続けるかどうか、とちょっとだけ思って、あと、そこまで投資しなくてもいいか、とも思って、そして土曜日に鍼灸にいったときに、先生に自分と同じつかい方の人がいないとわかりにくいですよね、と話してもらって、そうなんだけど、みつけていくしかないかな、と思っていたところだった。そして今までほとんど動かしていなかった貯金の口座移動を少ししたので、その矢先、という気持ちが強い。

両親が亡くなった少し前に、実家にいくのも、もういいかな、と少しだけ思ったから。

あのTシャツは、捨てたり着たりしないで、そのまま、そーっとしておこうと思う。

小さな小さなゲン担ぎのようなことではあるが、少しでも今が続きますように。