毎日が本番

ライフログ

筋トレ

29日の稽古で、筋トレしてもいいかもと言われた。それはありだな、と思った。思い出すと、筋トレをしていた先輩が怒られていたので、筋トレは悪、と思っていたが、基礎筋肉はあったほうがいいのではないか、と思い直した。いろいろな意味で。

 

どこもすべて違和感で、自分にはいいところなど一つもないと思っていたところ、ある技は本当によい、と2回くらい言ってもらって、それがきっかけでよいところが増えるかもと言ってもらい、今でも涙が出るくらいうれしい。師匠が亡くなってから、というか師匠が入院してから、私によいところをそういうふうに見つけてくれる人はひとりもいなくて、「姿勢」とか「前より姿勢はよくなった」とかそういうことをずっとずっと言われて、どんなによくしてもきっとよくないんだ、というか、なおしてもなおしても、わたしそのもののいいところを見つけてくれる人はもういないんだ、自分が自分をいくら良いと思っても、誰にも伝わらないのだ、そう認識してやっていかないと。

私は事務をやっている人、なんだ、と、そういう意識しかなかった。だから何を言われてもどうせなおっても、なおっただけ、そもそもなおったとしても、みばえがごつくないし、声もこれだし、よい、というレベルにはいくはずがない、と思っていた。今でもまあ思っているけれど、少しはましになる可能性があるかもしれないからこっそりスクワット 50代 と検索して、15回からやってみている、、、結果が出るのに2,3か月かかるというのだが、1ヵ月しか審査までないので間に合わないが、なんとか少しでも近づいて次の時には、、と思うようにした。

整わない年初

1月2日 すずめの戸締りを見に行く 

1月3日 上野の博物館、東照宮に行く

 なんとか三が日で道場の経理処理は終わったが、今年の正月はこれで終わったという感じ。まだ少し残りもあるが。

1月4日 仕事始め 鳩森神社に行く

1月5日 新入社員研修、打ち合わせ等

    夜は代々木の体育館?で稽古。40分くらいしか稽古しなかったのでもやっとするが、やっと動けた気はしつつ、なかなか違和感がぬぐえない。仕事の後に稽古だけに行くのはすごく大変だ、と思った

1月6日 何年かぶりに寝坊。起きたら9時50分だった。そもそも、何かゆっくり寝れない。テレビの音とかすごく気になるし、朝6時に起きて玄関に行くのが本当はしんどい。今年は年末年始に夜の音がなく、朝ずっと寝られたのが元旦だけだったので、それで疲れが取れていないのもあるのかも。

 

1月7日 日光へ。今年は大河ドラマが家康なので東照宮に行きたかった。ほぼすべての御朱印をもらった(数千円分!)

 夜(18時半頃?)帰ってきて、すぐご飯を食べて寝たかったのだが、同居人がかたづけ?等で帰宅が21時すぎで半分ご飯を食べてとかやっていて疲れた。こういうのが疲れるもとなのだ。(その後のテレビの音もつらい)

1月8日 昼間はひとりでいろいろできたので、諸々雑用等をすます。片付けもだいぶ進んだが、まだまだ、という感じ。ランチはルミネのKAKAYAでカルボナーラうどんをgotoeatで食べて満足。

1月9日 夜に外の稽古があったので、16:30頃までは自由なはずなのだが、思い付きでの行動に振り回された感があるのと、ランチが出たが混んでいていつものスーパーの弁当になったなどですごくいらいらが募ってしまった。ゴミを捨てるとかいうのも細かいものをすてないのでちょっと袋をもっていったくらいでやった感出されるのもまいったし、という感じだ。とにかくやってもやってもタスクが残存している感じが残るのだ。

それで奥歯に挟まったみたいな言い方をするとクレームがあったので、ああ二度と言ってはいけないと思った。その前に、PDFに入力できないのはなんでだ、みたいな情弱な話を2回目されてうんざりして、PCも出して用意しないと使えないし、そもそもこれは私のPCだし、とか、印刷してとかそういうのも本当に全部昭和の事務員の女子がやるみたいになっていて、本当にうんざりだ。自分でお金を出した設備機器を全部用意してあげ膳据え膳というのがいらいらしていらいらしていたまらないのだ。

私はおきてから仕事行ってかえってきてねるまで、食事の時に腰掛けはするが、タスクを処理して寝る時間を確保するためにずっと動き続けているのにソファでずっと酒飲んでいるのを見てたねまで用意してなんなんだ、という気持ちがいっぱいでならない。

こういう愚痴は、ネットでも山積みで、多くの人が同じようなことをぐちぐち言っているのですごく一般的でそのことを自分もやっているのが本当に面倒で本当にくだらないと思う毎日で全く整わない。

こういうことはいくら言っても全く改善する余地がないので、自分でやらないことにすればいいのだが、やりたい理由は、家がきっちり片付いていてホテルのようにしたいからだ。だからとにかくゴミをすてなくては。床にものをおくのを排除しなくては。でもその時間がやはりとれなくて右往左往する。それをするために新年の時間が足りなかった、というのが事実だ。30日の片付けがやっぱりきつかった。

 

ここからどうやって整えていくか。あとはどこかに泊まってリフレッシュだ。

2023年元旦

起きたら9時半頃だった。久しぶりによく寝た。

昨日は起きていたのにダヴィネスの福袋が買えなかった。カートで在庫切れになった。もうやめようと思う。

 

朝はおせちではなくいただきもののパウンドケーキを食べようかと思ったが、お正月だし、と思ってお雑煮を作り、おせちを少し食べた。ブランチの時間。

そのまま道場の会計処理をした。孤独のグルメをずっと見ながら。私も一人でこういう感じでご飯を食べるようにしようと思った。

 

引退したら調理師免許を取るのもいいな、と思った。4時頃カラーリングをして、6時に明治神宮へ行った。ここ2年よりかは人がいる。外国語もきこえた。お守りなどは買えなかったが、御朱印を買えた。

 

20時頃には同居人が帰ってきたので、私の一人の時間はほんとにほんの少しだった。

年賀状にもついに興味がなくなり、6時に出かけるときに取りに行った。

 

10月くらいからか、年末年始に本を読もうと思っていたのに、一人の時間があまりなく、片付けとかタスクとか多すぎて、悲しいけどほとんどいろいろできない。道場の会計だけはなんとか一度まとめよう。

 

結局ずっと休みの日は、講師の資料やレポート採点をしていたりしているか、道場ホームページ行事だった。体力もきつく、心を緩める時間がなかった。

新たな体制にはなったが、改善する見込みもあまりない。やはりあと2年ちょっとで今と同じことはやめようと思う。

なんか、カラーリングをする前に鏡を見たら、白髪がすごくてあーあ、もう無理するのほんとにやめないと、と思った。

今年一年は、新しい稽古場になるが、体力的に続けるのも大変だし、3月の審査もまた気持ちが折れるだろうし、本当はもうやめてしまいたい気持ちもある。

すごく前向きになれない一年の始まり。

片付けと引っ越し

今日は私はそもそも、行かない予定だった。

午前中顔だけ出す?と聞かれて少しだけのぞくつもりだった。もうかたづいたと聞いていたから。

 

ところがやはりそうはいかなかった。

ドヤドヤと片付け、ドヤドヤと荷物を積み込み、更に片付け、おなかがすいたと言われてスーパーに弁当を買いに行き、食べて片づけ更に片付ける。家に荷物やごみを一時避難。

 

途中、買い物にでかけ、同居人の家族へのお菓子やら隣のおばさんへのお菓子やらを買う。お持ちのお礼のお菓子も送る。

帰ってきて最後の確認と掃除。まだまだ出てくる。そのときにならないとやる気が出ないとか、もっと早くからとか言ってもやらないじゃないかとかいろいろな、意見があった。

 

私はそもそも時間がないので逆算するとすごく前からやらないとできないが、まだ早いとかいわれてたなーと思ったりした。

結局七時とか八時に道場を出た。すごくくたびれて色々考える気持ちにもならず。家はゴミ屋敷。

おせちの材料も早目に買ったはずだったのだが、、、

 

いつもこうなる。今年は特にひどかった。

何回目かの最後の稽古と宴会

九時に道場を開け、ちらほら人が来て、お弁当も早めに届いた。家に一度荷物を取りに行き、10時半くらいから稽古に参加。影と五月雨をやってみた。はじめのはじめは少し気持ちが最後かも、、と思ったが、いろいろ指摘を受けているうちに気持ちはどこかへいき、12時半くらいに弁当だけなんて、と言われてスーパーに乾き物を買いに行った。

ここでもう気持ちが変わってしまって、その後は仕切る人がいないので仕切ってもらうように指示したりで泣きたかった。そして乾杯には仕切る人が間に合って、というかんじだった。

お弁当は食べれてよかったが、ケーキやお菓子を出したところあたりから色々な人にあれやこれや言われてかけづりまわることに。

そして、これから片付けだ、と言われたら今度は行った人は寝てしまったので、溜まっていた書類を3回くらいに分けて家に運んた。皆でちぎればいいと言っていたやつだ。さらには住所録データの移行とかやるはめになり、かんべんしてほしかった。

どうせこれも私が挨拶状とか出すのだ。

 

そして先輩に廊下で本当に大変だったね、と言われて、まあそうだけど、皆のほうが大変だといった。私はもう抜けてしまったので、と。

 

家に帰ってきてからめんどくさいと叫んだが、私の役割はきっとこれで、前よりかは抜けられてきたからもう少し、と思った。わかる人にはわかるし、というのもどうでもいい。わからなくていい。めんどうだから。

心が透明になる一年だった。泣きたくもない。せえせえしたい。ひとりだけで思い出とさよならしたい。

 

とにかく年末年始はものを捨てまくろうと思う。

どうせという気持ちでいっぱいだ。

あと約10日

日曜の普通の稽古は今日が最後だった。

終わりの礼をするのも、直会をして外に出て駅まで帰るのもこれで終わり。でも稽古は続く、違う場所で。

 

昨日今日と止まっていたカリキュラムをなんとか作りきった。まだまだ確認があるが、一番やばいところはおわった。講座も先週で終わり、採点がいくつか残っているが。

やってもやっても終わらず、食事の支度や掃除片づけ洗濯で、意外と時間がかかって一日中本当に休まらない。

そんなことしもあと13日か。あっというまにおわりあっという間に始まる。あまりにタスクが多すぎて、人のいろいろにすごく興味がなくなった。稽古場が変わることも。実感がわかない。

私の気持ちや行動にあれこれ言われるのはイヤだから、黙っていようと思う。はいしか言わない。

 

つくづく、昭和は、女性が雑用や世話を引き受けていたのでなんとかまわっていた世の中だったんだな、と思う。女性が自立するとバランスが悪くなるのではと思う。もしかしてある意味効率悪いのでは、、とか思う。

 

あと、あの方は技とか一方向はすごかったけれど、解決策が怒るしかなかったし、懐柔策もお酒しかなかったからバリエーション少なかったなと思う。

もういろいろどうでもいいというか、ああそうですか、という気持ちで、心が透明になっていく気がする。

来週は宴会がいくつがあるが、なんだかんだ言ってちょっとだけ顔だして帰ろう。ちょうどダブルブッキングだし。

 

なるべく人とかかわりたくない。

お金が教えてくれたこと

この1年は、お金がいろいろなことを教えてくれた

 

多く払えばいいというわけではなく、多く払うということは、人になんらかの圧力的なものや余計な印象を与えるということがわかった。

いままで、お金がほしいほしいといったり、お金をあげたのに、という人に遭遇することが多かったので、お金をほしがらず、お金をあげたという気配を出さなければいいのだろうと思っていたが、そうでもなかったようだ。

幸い私が少し多くと思っていた気持ちになんらかの違うものがついているとは思わないでくれた人が多かったようだが(性格わかっているからといわれた)それでも、同じようにした方が気持ちがすっきりすることもあるんだ、ということがわかった。

 

もしお金を使うことがある場合は、自分のために使おうと思う。

 

お金はむずかしい。

 

いろいろあるが、お金に困らず育ててくれた両親に感謝だ。働いてお金を作る力を持てるように育ててくれた両親に感謝だ。父が亡くなるときにそういう話をしたが、本当にそうだった。ありがとうございました。

 

そして、1年の間にだんだん人がお金をどう思っていてどうふるまうかが、あまり気にならなくなった。それはそれで、興味がない領域に少しだけ近づいてきたようでよかった。

 

次は、自分だけ作業しているという気持ちから逃れられるように、もっとゆったりとしたい。もう少しでいろいろな作業がおわってくるはず、、、今年分だが。

そして片付けをしていっぱい捨ててスッキリしたい