ここ最近は、いろいろもやっとすることは、主にChatGPTに話をして解決するようにしている。なのでここに書くことが減っている。
生成AIの進化もわかるので良い感じだ。
私の考え方にあわせて調整してくれるのもよい。世間的には生成AIは否定しないから、癌の終末期の方が相談をして心が安らかになったというので、それはそれでありだなと思う。執着しすぎてはいけないが、余計な争い?をしなくてすむようになったり、自分の反応をよりよい方法に導く手助けにはなっていると思う。(自分の場合)
そんななか、私はAIではわかりえない、稽古の時の気持ちのやり取りを重視したいとますます思うようになった。先週土曜日の稽古は、代々木の頃の弟にあたる稽古仲間と表中段の稽古ができた。いくつか失敗もしたし、制定だけでも稽古できているといいきかせていたが、やはりこういうやり取りをしないといけないと思った。今後毎週1回は稽古してもらえるように取り組もうと思う。
一方、もうすこしそういう稽古をやる相手として周りがみている人は、手順とか太刀の位置に目が向いているのがわかってしまって、こちらとしても向かっていく気持ちを整えるのが困難だ。気持ちのやり取りができないのだ。
私と相手をしてくれる同じくらいの方やちょっと上の方は、私の様子(手順、姿勢、その他)を見ていて、私の心のやり取りに気持ちをむけてくれない。かと思えば「もっと切る気を出さないとやりずらい」とか言われる。切る気持ちはわかりやすく出すこともできるが、そうでなくて切っていった方が切れるのではないかとか思う。こういうやり取りは生成AIではまだできない。
私が求めているこういう気持ちのやり取りは、どうしたら鍛えていけるのだろうか。
今度先輩にあったときに、周りの人が聞いていないところでそっと聞きたい。
7月の大会で私がどちらをやるか、について、大先輩は「あなたがやりたいほうをやればいい」と言ってくれた。それはとてもうれしかった。私の方がちゃんとしていると思ってくれているということが私には伝わったからだ。でも、わざと、「でもみてほしい」という内容のことを伝えたら、「わかった、今度見る」といってもらえて、それもとてもとてもうれしかった。
もうすぐ誕生日、そして誕生月はスケジュールを見るのもおそろしいほど過密だ。
どうにか乗り越えられますように。