東京散歩を読むとよくわかる。ここ2年半、自分が何を考えて生きてきたか。
それを意図して書き続けてきたわけではないからこそか、そこにはリアルな
毎日が残っていた。
東京散歩を書き始めた頃の自分とは随分違う自分になった気がする。
それは単純に成長したとか、がんばったとか、そういうことではなく
今まで経験したことのないタイプの僅かな変化だったように思える。
ずっとずっと変わりたい気持ちと落ち着きたい気持ちに剪まれて、うまく
自分のポジションがとれなかった。いろいろなことを試してみざるを
えなかった。それでもどれもしっくりとこなかった。これだ、と思い込もう
としても、長く続かなかった。いつまでも心の浮遊感が残った。
そんな自分に慣れてきていた。別に今のままで、悪いことはない。
自分のこの曖昧な不安は、言わなければ誰にもわかるわけじゃない。
これでいいと自分が決めてしまえばいいだけのことだ。自分でだって、今が
悪いと思っているわけではない。わりとよいとさえ思っている。
このまま時が平穏にすぎればいい。それこそ死ぬまで。
そんな12月のはじめ、Mちゃんと予防注射を受けに行った日をきっかけに、
私の中で何かがじんわりと変わった。予兆はいろいろあったのかもしれない
から、変わったことを感じることができたというのが正解だろう。
今回の変化は、今までとは違うということだけが、ハッキリとわかった。
それをどう落ち着けるかはこれからだ。
ただひとつわかることは、死ぬまでは生きているということ。そしてその
生き様はまったく自分の自由であるということ。今日も、明日も。
【編集者の2行】
2005年も、キャリア通信をお読みいただき、本当にありがとうございました。
2006年にはちょっとリニューアルしてみようかなって思っています。