毎日が本番

ライフログ

年末モード

今年の講座は、明日の1講座を残すのみ。よくがんばった。

 

2日ほど前、この事業が何年か必要とされるなら投資して、、という話が出たが、投資したら何倍かにするようまわさなくてはならず、それをやれる人材がおらず、自分がやるには、拡大策はもう頭がついてこず、自分の体力もなく、と苦痛ばかりを感じで、ひいてしまった。

今までもいくつか投資投資とそれらしい言い方をして、結局人が動かなかったからダメだということになり、じゃあ自分は動いたかというとそうではないのでは、と思い、動かすように動いたこともなく、動くような人材でもなく、まわるわけないという思いが強すぎて、頭の中が真っ白になった。

 

近所の知人の飲食店が、夫婦だけでやれる規模にして、やっていこうと決めたという話を聞いて、そういう決断も人生あるよね、そういうタイミングもあるよね、と思った。

自分が幸せでいるために。自分が幸せでないと、お料理はおいしくならないだろうし、講座は人に伝わらないと思う。

 

投資といったって、そのお金は社員が一生懸命働いて稼いだ利益であるので(自分も含め)、それを「投資」という魔法の言葉のもとにふわっとまいて、回収の見込みを考えるのもひとまかせにしてしまうのは、私としては許しがたい。

と思うと、もう続けることは気持ち的に難しい。

 

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」

 

私の生きていることなど、はかないことだ。

だからこそかもしれないが、自分がどれだけ楽に(つまり楽しく)暮らせるかは

世の中にはさほど関係ないことだ

だとすれば、たのしくくらしたほうがよい

とすると、苦痛を伴うことに縛られる必要はない

人様に迷惑をかけることさえなければ。

生きている限り多少は迷惑をかけてしまうものだから、そのぶん、できる限り真摯に生きれればと思う。

 

そもそもほしいものなどそんなにたくさんなく、福袋でケイトスペード3万円(税別)を予約しただけですごい買い物だ!!!と思ってしまうくらいなので、このくらいはよいか、という感じだ。(しかも3年くらい悩んで初めて買った)

そしてスタバの福袋も5年くらい抽選にはずれたりまにあわなかったりしたが、ことしはじめて抽選にあたったので、購入。いらないかな、と思うと当たるものだ。

そんなものなのだ、人生。