毎日が本番

ライフログ

自分の役割を知る

松本に先輩先生の道場3周年のお祝いに稽古に行った。

稽古の時、立ち上がったけれど、他の人が指名されていたのでひいた。時々しか稽古できない人を優先するのが当然だ。KYだったと反省。

 

その後の宴会のしたくのとき、皆は温泉に行ったが、私は居残ることを決めた。少し、私はいつもこういうのに参加しそびれる、、と思ったが、そのことをいろいろいうのを今回からやめることにした。思うのは止められないかもしれないが。

私の役割は、それが自分所属の道場でなくとも、いろいろごはんのしたくなどをすることなのだ。他の人もかわってやってくれとか思うし、他の仕切りとかやってくれ、と思うが、あの人たちは違うのだ。わーわーいって、稽古して、やった感がするから。

私は私の役割がきっとあるから、あきらめようと思った。昔は、自分の居場所とか、いる意味とかがほしくて、せっせと皆がやらないことを先読みして、居心地いいようにと気を配ってきたが、最近だともうくたびれるのと、みんなが私がやると期待しているのがしんどすぎて、もうほんとにやめたいと思っているのだけれど、それを主張しても、また戻ってきてしまったり、主張したと苛つかせたりするので、もういろいろあきらめた。やりすぎないようにして、最低限やろうと思う。

 

稽古はうまくならないし、誰も私に期待していないし、誰も私のいいところなどわからないので(言い方があれだが、師匠は私の特徴と私のいいところをみつけてくれていたが、もうそういう人もいないので)、何で稽古しているか、もう実は意味がわからない。それなりにやってきたから、アイデンティティのひとつではあるけれど、私はマイペースでやっておけばいいわけで、師匠がいっていたような伝承とか、次を育てるとか、そういうことはスキル的にもう無理なので、そこにコミットしようとか、一生懸命やろうとか、気持ちをいれたって、そレが伝わる人もいなくなったので、もうみせようとがんばるのはやめた。いっさいやめた。がんばったって、私は彼らがいいと思うものにはなれない。違うところに特徴や師匠がいいと思ってくれていたものはあるかもしれないが、それをわかってくれる人がもういないから。

それより、私にみんなが期待していることは、めんどくさいことをやるとか、食事のしたくするとか、お金の整理するとか、いうと覚えているとか、そういうことだ。そんなことやりたくないのだが、そっとやっておいて、いつか全部誰かに引き継げるようにというか、何とかなるようににはしておこうと思う。

とにかく、私の役割は、めんどうなことをやることなのだ。あのなかでは。

もう本当にめんどうくさい。

やめていくこと(意識的に)

誰かがやらないといけないけど、誰もなんとなくやらないものこそ、自分がやるように、ということを結構やってきた気がする。

そのおかげで、多くの人に信用してもらってきた気がする。

けれど、最近そのせいでなぜか怒られたり不満を言われたりするので、もうそういうことから足を洗おうと思った(できるだけ)。

 

自分だけ野菜の料理とかやっているとアピールしてイラっとしたと指摘されたが、

「自分がいなきゃここまでこなかった」と言われてびっくりした。一部はそうかもしれないが、いろいろな人から問い合わせをされたり、こまごました対応とかはしてきたつもりなのだが、それは気づいていないのだろう

そして、私にいらっとしたことの裏返しで考えると「自分こそがいろいろ面倒くさいこともやってきた、それをわざわざアピールとかしていないのに、おまえはちょっとしたことをアピールしやがって」ということなのでしょうね。

ということがよくよくわかったので、今すぐ逃げ出したい。本当は。

だが、そうするいろいろな人に迷惑をかけたりもするだろうから、しばらくは自ら率先して誰もやらないことに手を出したりはしないようにしつつ、困らない程度に作業をし、それをやったとは言わないようにしよう。

きっと自分がやった、という人は、まわりにやってもらっていることは気づかないのだ。(逆のことが自分にふりかかってきたらいやだが、それはある程度はないはず、、、一部は助けてもらっていると自覚しているし)

分からない人にはわからないのだ。だからあきらめて手放そう。

もういろいろしまっていき、このひと騒動がすんだら、一人旅にいっぱい出るのだ。

 

全部を自分の責任で買い取ろうと考えていた私は大馬鹿ものだ、今考えると。でもそうできないように、何かの力が動いてくれたのだ。結果今こうなっているのだから、感謝の気持ちで受け止め、私自身がうれしくにこにこできるようにはどうしたらいいか、考えて生きる。

 

土曜日の結婚式は素晴らしかった。土砂降りだったけれど、家族になるのが楽しくて、緩くてもみんな楽しそうで、とにかくどうなっても仲良く楽しく笑えることが一番なのかと心から思った。おめでとうございます。招待してくれてありがとうございました。

思い出してみよう

9月17日~19日の3連休は、台風が接近していることもあり、稽古以外はほとんど家から出ずにたまっていたレポート確認などして少し落ち着いた。

 

18日の畠山重忠の乱を鎌倉殿で見て、衝撃を受け、その勢いで中川大志さんの演劇の予約をした。

 

私は20代前半の頃、どういう暮らしを期待していたかを思い出してみようとした。

その後、日本は30年、後進国?というような独自の歩みを続け、想像していた未来と違う今がある。世の中の多くの人よりかは、私はそこまでちがわない、というか、それなりに適応しながらきたようにも思う。30代半ばのいろいろな出来事を除けば。

 

父が亡くなるちょっと前に一緒に旅行に行ったり、八ヶ岳音楽堂にいったり、歌舞伎をみたりしたような、そんなことにここ1,2カ月、すごく気持ちがもっていかれる。

両親が、70代に各所外国旅行をしていたのだが、そんなタイミングが今私に来たのかもとも思う。

 

なんだかんだとちょっとホテルに泊まるだけでもだいぶリフレッシュしたので、時々どこかへそっと言ってみようかと思う。

仕事はいっぱいあるのだが、それにずっとかまけていると、あとで恨みとかになりそうだからそれはやめたい

盛大な復讐

「復讐」という言い方がよいのかどうかはわからないが、、

 

日々のストレスの根本が

・お願いだから自分でやってくれ

ということだ。

コミュ障のため、私が間に入って伝えたり調整したりが非常に多い。その方がいろいろ円滑なので、やるようにはしているが、あと2年半たったら、すっぱりやめようと思う。それまで生きているかもわからない。

そもそも、十数年前から私が得意とするコミュニケーションスタイルで接してきた人は離脱していないのだが、そうしないように示唆されて直接コミュニケーション取っていない人のなかで誤認やら離脱やらが増え、今自分がひとつひとつ手当をしているのがもうたまらん、という感じだ。

また、役職的にやることの責任範囲に、すべて私がかかわって判断するのがたまらん。相互確認の域を超えているように感じる。だからすっぱり離脱して、あとはどれだけそれが手間だったか考えてみよ、という感じだ。

死ななければ自分は生きていけるからしったこっちゃない。

2年半たったら、盛大な復讐とはそういう意味だ。

 

もうひとつ、同居とか、道場のもろもろもたまらん。とにかく忘れる、やった感を出すとクレーム。だから何も言わずにやっておき、どこかで離脱量を増やしていく。世代性から、若い女性か誰かが世話しないと成り立たないのだと思う。もう自分はやってられん。自分で自分のことだけやりたい。部屋も、別のところを借りていて実際にお金がでていっているから、こちらを全部私が払っていても平気なのだと思う。せまくて寝れないし、テレビうるさいし、やってられん。とにかくどんどん物を捨てて、スッキリしたい

肺に影

渋谷区がん検診の結果、右肺の下の方に影があるというので、がん研の呼吸器科で診察。CTを1日に撮影(3時以降オンコール)、翌日9:20から診察。2日は午後、尾久でオフライン講座だったので、1日は有明のホテルに泊まった。

 

4時頃にはCTも終わったので、ホテルでテレワーク。落ち着いて仕事できたし、掃除洗濯食事の用意がなく、なんといってもテレビの音とか、途中で起こされるとかなくて、超快適だった。

またときどきどこかに泊まりにいきたい。

 

診察の結果、特に問題なしだったので、ほっとした

しかし、こういうことでもないと休めない、、とも思った。

途中で一度目がさめたものの、起こされるのとは違うのでそこまで苦痛もなく、

毎日掃除洗濯途中で起きる、というのですごくくたびれていることがよくよくわかった

 

とにかく、部屋に髪の毛が落ちていたりするのを細かく拾ったり、審査の前は特に神経質だった。とにかく色々捨ててしまいたい。床に何か置いてあるのが気になって気になって仕方ない。

ホテルはきれいなので落ち着く。家もどんどん物を捨ててすっきりしたい。

しかし業務が逼迫していて(いつもだが、、)土日も稼働しないとPマーク終わりそうになく、それがおわってから色々捨てようと思う。

 

肺に転移しているとステージ4だが、もうなんかそういうことより、日々のごちゃごちゃから解放されたい気持ちでいっぱいだ。外国人からのメールやら、いろいろな手続きとか、すごく面倒だ。自分で抱えるなと思ったので(言われたような気も?)、野菜のこととかかなりいったら、すごくいわれたし、その後言わないようにしていたが何かのときに「じぶんばかりがやっているというふうにいった」と言われたので、こいつ、いろいろ言っても忘れる癖に、やらないからなんどもいっているのに、と思い、すべてあきらめることにした。こんなこと言われるならいわないでやってやると。そして、いつか盛大な復讐をするのだ。

和歌山

2022/8/26 新幹線で大阪まで行き、そこから和歌山へ。

 和歌山ビッグホエール?で審査。12時くらいに会場入りし、午後1時くらいから待ち、2時くらいから4時くらいまでかかった。

 審査はできる限りのことはやったが、気合が遅れていたこととか、太刀がいまいちとか、身体がゆれるとかあってNG。

 落ちたことがわかったときは絶望だったが、それよりも待っている間とかの緊張と絶望の合間がもうだめになりそうですごくつらかった。とにかく終わってよかった。

8/27,28 は稽古会。どこが悪かったかはなんとなくわかりつつ、結局どっしりしているといいのかな、とも思う。

 

28日~29日に、ずっと行きたかったアドベンチャーワールドへ行くために白浜へ。

いろいろ追われているので、旅に行くことを忘れていたが、久しぶりの旅行はとてもよかった。

広いところで寝れるのと、ご飯の用意をしたり、掃除洗濯をしなくていいのでとても助かった。

 

アドベンチャーワールドでは、パンダを見れてよかった。まんまるで寝てばっかりでとてもかわいい。

 

また旅行に行こうと思う。

父が住む家?

ここしばらく、クリスマスに八ヶ岳高原ロッジにとまって、音楽会にも参加したいな、と考えたりしていた。父が亡くなる1年か2年前の11月頃に一緒に行ったことを主出しながら。

 

そのせいか、不思議な夢を見た。

 

八ヶ岳の別荘(すでに妹が相続したのだが)

を父と(もしかしたら母と?)一緒にいって、

これで終わりだね、と何かおわりにしてくるような感じの夢をみた。

 

そして、今後は、今の自分のマンションにいるのだが、

父がひとりでどこかのマンションに住んでいる想定で(どうやら母はなくなっているようだ)、土日は父のマンションに行って、ごはんをたべたり、AGIOに行ったりとかしたほうがいいよな、いろいろやってあげなくちゃ、と思っているという夢なのだ。

父が一人暮らししているなんて、そんなのをどうしてほってあるんだっけ??と思いながら、すぐにでもいかないと、、と思って目が覚めた。かなり、はっきりした思いで。

 

亡くなるまで、父を一人きりになどしたことないはずなのに(母が入院して、妹一家が旅行にいっているときはなんとしてでも実家に行っていた)どうしてこんなことになっているんだ??と思いながら。父はいつも、目玉焼きがあれば自分でいろいろできるというようなことを言っていたが、基本的には昭和の田舎の長男だから、掃除とか洗濯とかするわけがない。

 

かなりリアルな気持ちで、起きた時、朦朧とした。

そして、朝稽古にいって、ひとりで女子更衣室で泣いた。

 

更年期障害のせいだろうか、最近かなり追い詰められている。