毎日が本番

ライフログ

同時多発性乳がん

手術後の生検結果を聞きにがん研へ。

一昨日傷口から少し膿が出たので見てもらうと、糸が残っていたようで、取ってもらった。

その後、結果の説明。ルミナールaだそうだ。
先生が何か言いにくそうにしていたので、何かな、と思ったら、なんと、偶発的にもうひとつべつのがんがみつかったとのこと。3ミリなので、MRIとかでも見つかってこないサイズらしい。
少し切り取りが少なかったそうだが、放射線照射で対応とのこと。
つぶつぶできやすい体質なのかも、、と言ったところ、ホルモン治療は、もう片方の乳房にも効くから、とのこと。

治療法は変わらないんだ、と思いつつも、ああ、またしばらくしたら何ができるんだろうなぁ、ていうか、もうできてたんだ、、、という感じです。


会社に報告したところ、治療がうまく完了するといいですね、とのことだが、再発リスクがおさえられるだけだし、、、私はまた新しくできるかもだし、、と思ってしまった。

一度うちに帰ってから稽古会に行った。
今日はなんか調子でなかった。
審査も無理だよな、、と思った。
何より、師匠が教えてくれたこととか、いっぱい思い出して、悲しいというか、ボーッとした。

同時多発性って、テロみたいな名前。治療法は変わらないし、もう人に言うのはやめようと思った、、でも、心の中はなんか悲しみでいっばいだ。やってもやっても出てくるだろうし、、やってもやっても審査は受からないだろうし、、、

みんな、自分のことでいっぱいだから、私が何か話したりする隙がない。

46周年演武会

演武会は中止にしようか、といっていたのだが、ご意向もあって、やることになった。

 

20日(土)

朝稽古はお休みして、うちで買い物リストとか作り、8:30に道場へ。

タリーズでいつも通りお茶をしてから、スーパーで買い物。

その後、わたを買ったり、写真を引き伸ばしたりなどした。

13:00に道場に行ったら、先輩がちょうどいらしたので、挨拶をしてから自宅へ。

ポテサラ用の玉ねぎスライス3玉分、キュウリスライス3本分を作って、14:00からの稽古へ。

まずビーツをゆでている間に稽古。

演武は、中段後半と、十手。

十手の稽古は、裏目当てをやるのに一生懸命になって、ひさしぶりにそのことに集中して、次のことを考えないで時間を忘れた。そういえばこういうことは最近あまりなく、いつも次のタスクの工程を考えていることが多かった。やることが多すぎて、寝る時間や休憩する時間を確保するために、いつも先のことを考えたり計算していた。このように一生懸命やることも楽しい。17:00すぎまで稽古。

いつもだったら「前夜祭」という言い方をする会の料理は、ほうれん草炒め、餃子、朝鮮人参天ぷらにした。平行して、明日の料理の支度をした。

慣れている人も多くないので、仕込みをして手順を明確にしておく、ラインごとに担当を決める、ということに気を配った。まるで仕事だ。。。

20:00頃にうちに帰って、お品書きをかいて、明日の用意をざっとして寝る。

 

21日(日)演武会当日。

それまで、緊張でおなかがはっていたのだが、前の日にマグラックスを飲んだ効果か、トイレでどっさり出したら、迷走神経反射ぽくなり、動機がしてしまった。20分くらい休んで、少しおさめてから出発。

9:30に道場到着、考えておいたとおり、あれこれやってもらう。

-------------

★お品書き★

かわきもの(でん六豆みたいな)

アボガドこぶ〆サラダ

ビーツ入りポテトサラダ

ほうれん草グラタン

ボルシチ風(ミネストローネにビーツをいれた)

チキンウィングなど差し入れ

-------------

-------------

十手 8本

裏 右剣、左剣

表 残剣、蹴上、一乱剣

裏 入身

表 入身

裏 目当

-------------

 

演武は、集中できた。今の自分にできる全部はできたと思う。

いつも息があがらないのに、十手も、中段も息があがって、終わってからしばらくはあはあして、びっくりした。

そういえば、10月13日に手術したばっかりだった、、、と思い出すくらい、普通に演武できたのだが、息切れてびっくりした。さすがにくたびれたか。

 

宴会は27人くらい?準備ができていたので、途中で食べることはできたが、顔が青いといわれて、まずい、と思った。

 

このあと、しばらく稽古は今まで通り続けていけると言われているが、さて、どうなることか。あまり振り回されないようにしようと思う。私だけ何とかしようと思っても仕方ないのだ。でも、自分でもある程度カタがつくくらいの心づもりはできたので、まあいいかという感じだ。

 

そして、なぜか、ダイソンの掃除機を買ったり、化粧品を買ったり、してしまった。ほしいものも買わないとな!と少し思ったわけです。

 

結局、いろいろドタバタとやることに変わりなく、いろんな人が思い思いのことを言うこともかわりなく、でもそれでまあよかったかな、とも思った。

 

◎2016年1月の稽古始め会

このときの中段のことを思い出した。。。

このときは、稽古、といってはいたが、師匠は演武のつもりだったのだと思う。私が太刀をもって、来客の方に深々と礼をしていたのを思い出す。思い出したとはいえ、そのときの遣い方は思い出せず、、、6年近くも前のことなのだと思うとびっくりする。

 

 

◎2017年1月の稽古始め会

このときはもう無理やりという感じだったのだろうか。このときのこともはっきり思い出せない。日々すごすのが本当に必死だったのかな、とは思う。


それよりもっと昔の時の方が、「さあ、今日は演武だ!」と思っていたのだと思う。

今回は、やはりドタバタで疲れマックスのなか、演武のときだけは集中しようと、それだけがんばった。許すまいという気持ちで。命のやり取りの気持ちまではいけたかどうかわからないけれど。

そして、私はもしかしたら、これからいろんな治療がはじまったら、これよりもさらに稽古を、演武を、しっかりできなくなるのかもしれない。

ボジョレーと更衣室の間の衝立

いろいろあったが、いつもと変わらず、ボジョレーの会を行った。

 

今年は、ひさしぶりに(40周年の時以来)以前いつもボジョレーの時はきてくださっていた先輩も一緒。新しい稽古人もいる。

そして、師匠も一緒の気分。

 

2010年はこんな感じだった。このあとも何回かボジョレーの記録が。

今年は、スーパーで買ったものだが、ステーキ、焼き鳥、野菜、チーズ、パン、等。

私は先輩にいただいたほうれん草をベーコンと炒めてホワイトソースをかけてチーズをふって、トースターで焼いたほうれん草グラタンを作った。

8人いたのに、ボジョレーは3本のみだった。みんな食べ物に興味があるようだ。

 

2012年は、ほうれん草とカキ炒めを作ったようです。


 

いつもと同じようなボジョレーではあるが、10年でいろいろなことが大きく変わってしまった。。。。。。。

 

ひさしぶりに、更衣室の間の壁を抜いて、みんなで飲み食いした。

壁を元に戻すとき、すぐにできずに大騒動。私は昔からはめるのができず、できる先輩に頼んでいた。それでもあまりにひさしぶりで、すごく苦労していた。

さいごのさいごに、1243 という順番ではまった。ナニコレ、ではなく、なるほど、だった。これが師匠のあたりまえなのだ、と皆でうなずいた。これだよ、これ!という感じがすごくした。なんというか、やっといつもの状態に戻ってきたというか、そういう感じ。やっとやっとやっと、戻ってきた、という感じ。

 

うちにかえったら23:50頃。これもなんか、なつかしいというか。すごくくたびれたが、前はいつもこうだった木曜日の夜。

 

そして、これからどうなるか本当にわからないのだけれど、やれることはやる、準備できそうなことはやった、という感じが自分はするので、あとは流れと神様や天国の助けてくれる方々が導いてくれるとおりにしようと思う。

 

 

 

 

長い長い3日間

14日 日曜日 6:00過ぎ、旅立ちの連絡があった。

7:00ほんの少し過ぎに道場に行き、玄関とテレビの部屋の掃除をした。キールをもって。

もうこのとき、玄関の扉が土曜にしめた時と違ったのであれ、と思った。もう帰ってらっしゃっていたのだ。

 そして、2階には、大勢の人がいる感じがした。外人も。みなわかって集まってきたのだろうか、という感じだった。不思議な感触。

 

10:00過ぎに、もうすぐ到着と電話があった。

10:20くらい、本当にひさしぶりに、かえっていらした。

まだ、あたたかかった。

お布団に寝ていただいて、キールを口に入れてあげたり、手を握ってみたりした。

やっと帰ってこれましたね、の気持ちでいっぱい。

ご親族がぞくぞくやってくる。稽古人もやってくる。

 

自分は気持ちをどこにもっていっていいかわからず、ぼーっとする。

いろいろ言われて、いろいろしたくをする。とにかく一度出たくて、かきのは寿司の予約を京王デパートにしにいった。

 

19:00頃帰宅。大河ドラマも見ずに、外人に連絡。

会社にも連絡。

 

15日 月曜日 昨日のことだが、もう半年前のことのようだ。

 15:00すぎまでは会社で普通に仕事。仕事したのもすごく昔のようだ。

 新宿でかきのは寿司をゲット、ランチをたべていなかったので、神座でおいしいラーメンを食べる。出てきたら兄弟弟子にばたりとあったが、外人に頼まれた花束を買う。

道場にはもう人がいっぱいいて、(と思ったが、さらにいらして総計150人くらい?だったそうだ)挨拶をし続ける。17:40位にスタート。

 仲の良い女性がきて、涙が出てしまったりもした。

 19:30くらいからは、直会。ナッツと柿のは寿司。どこかで見た光景だ。

 古い方もいっぱいいらしたので、それこそ入門したころと同じだ。同じすぎる。どうしてこんなに同じなんだ。そして私は階段をのぼったりおりたり。

 いろんな人がいろんな観点で、みなそれぞれの勝手な感想?を話す。同じすぎて、なんともいえない。

 11時頃にやっと帰宅。神座を食べておいてよかった。お寿司を一つしか食べなかったので、感染症対策もばっちりだ。

 この全部をもっていかれるような感覚。ひさしぶりだ。

 

16日 火曜日

 8時頃おきて、メールなど処理。

 着替えて、マカロンをもって、、、ふと、写真をもっていくことにした。棺にいれるため。写真の裏に、いつもお話しするような言葉をかく。お手紙をかこうとしたが、そういうのではなく、語り掛けをたくさんかいた。もう電話してきてもいいと思って、電話番号もかいた。

 11時に到着。写真をいれてもらい、お刺身をいれて、お花をいれて、ふたをしめて、出発。

 

 父と母など、記憶のなかで5回目の代々幡。だいぶ慣れている感じがした。

 でも、以前よりすごく早かった。少し分けていただくお願いをして、かなえていただけた。

 一緒に道場にかえってきて、テレビの部屋にそーっとおいた。やっとやっと、これで誰にも気づかいなく、お話しをしたり、食べたいものを置いたりできる!!

 やっとやっとかえっていらっしゃった。おかえりなさい!と思った。

 

長い長い一日、おわった、

かと思ったら、クレーム的な仕事の電話があった、、、

そしてやっと今日がほぼおわり。よくがんばりました。

きっとずっと見ていらして、笑っていたことでしょう。

さっきは、家の洗面台のところに人影を感じたので、うちにいらしたのだね、と思った。ありがとうございました。

 

 

 

 

ついに、しまいかたを考える

病気のあと、少し働き方を変えた。

まだまだうまくいかなくて、いっぱいいっぱいにはなるが、

いつまでもこれを続けざるをえない、というところからは次のステージにいけそうだ。

私はお金が特にほしいとは思わない。お金が欲しい人たちの争いに巻き込まれるくらいなら、辞退したい気持ちの方が強い。

それでも、私が何にお金を使いたいかをわかっていてもらえたことは、すごく意外で、すごくありがたいと思った。

あったらそれはそれですごく良いと思うが、、、あまり期待もしていなかったので、もしいい方向にいったらありがたく使おうと思う。

それよりも、ずっと仕事を続けたいと思っていないこともどうやら伝わっていたようでよかった。

この病気は、今度こそ、私が違う生き方をするためのチャンスをくれたのだと思う。

ゆっくりと本を読んだり、ゆっくりとごはんをつくったり、ゆっくりと旅行に行ったり、おいしいものを食べたり、美術館にいったり、かわいいものを買ったり、そういう暮らしをして、本当ににこにこして暮らしたい、と思う。

今までもそう思っていたけれど、実際はそうではなくて、いつまでに何を次は何を、どういう順番で、と常に常に工数とか工程を考えていて、いっぱいいっぱいだった。

 

私にゆとりをあたえたい。

再会 無理させてごめんなさい

11月3日は、以前は毎年明治神宮の奉納演武だった。そんなことも忘れてしまっていた日に、ひさしぶりに面会に行った。

緊急事態宣言もあけていたが、15分、予約制、マスクを変えること、などが条件だった。

 

やせていらしたが、手も握り返す事ができたし、わかってくれた、と感じた。

また稽古を一緒にしましょう、と何度も話しかけた。

何か話してくれようとして、たんがつかえた形になり、父のことを思い出し、ナースに吸引してもらった。

 

吸引したのに、のどがゼロゼロいっていた。口をあけていきをしていた。

 

もしかして、私がやっていることは、反応してほしいと思うことは、勝手なわがままだったのかもしれないと気づいた。私のひとりよがり、わがままだったのではないか、、身体に負担をかけてしまっていたのかも、、ごめんなさい。ごめんなさい。

わたしたちが行ったこと、話しかけたことはうれしく思ってくれたと思うのだけれど、でも、人間の体は永遠に同じなわけではないから。

今までと違うステージになったこと、私がやっていることが、負担になりうるのだということ、私のわがままなんだ、ということ、がわかった。

ごめんなさい、そして、たくさんたくさんの心からの感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございました。今までも、これからも。ずっとずっと生きる指針だと思います。

 

ホルモン剤治療

30日土曜日は、8:30集合で、審査会の受付。

退院から2週間後にバタバタとする審査会の受付をよくやったな、、と少し思った。

審査に出た関係者は皆合格でよかった。

 

16時頃戻ってきて、道場に一度顔を出して、そのまま戻ろうかとも思っていたが、夜ご飯の支度がデフォルトになっていて、まあまあ体調も大丈夫そうだったので一度帰宅して鍋など作る。

乳がんのことを伝えようかと思ったのだが、ずーっとしゃべり続ける先生方に辟易して、もういいやと思って21時頃帰宅。

 

31日日曜日は、9:00から稽古。12:00くらいまで。

小太刀4本。すいおう流剣法11本目~を習う。

昼は、なんと、冬瓜を煮ることを忘れていて、晩御飯用にそれを煮た。カニあんかけで割とおいしくできたのでよかったが、、、

午後の稽古は、バリバリやらないで、かなり見学モードでちょっとだけ稽古した。稽古代の支払いも何とか済ます。

そして晩御飯は結局、ゴマ豆乳鍋、ほうれん草炒め、冬瓜、その他支度をして、本当に結局、19:00直前に宅配便があるから、と言って帰宅。

 

以前はこれで夜中までつきあって、本当によくやっていた。。。

 

また別の日にしようと思ったが、なんとなく長野の先生に電話。

お料理の話も少ししつつ、乳がん放射線とかホルモン剤治療がはじまる、と伝える。

先輩は前立腺放射線をこの間やったと聞いていたので、話やすかった。

ホルモン剤は10年飲んでいるが、最近副作用が出たのだとか。男性女性は違うけれど、やっと病気のことを話せて、電話を切る直前にぶわっと涙が出そうになった、、、

とにかくお医者さんのことを聞いて、その通りにすること、と言われたので、もともとそういうタイプではありますが、そうします。

 

私の心の奥の奥をさぐると、やはり、たよりたいとか、聞いてほしい、とかいう気持ちが隠れていたことがわかった、、じゃあ、話せばいいではないか、と思うのだが、時々ひとりごとで「私の気持ちなんてわかるもんか」とつぶやいていることを思うと、同じ病気の体験者とかでないと、話しても難しいだろうな、と思うところがあることがわかった。どちらかというと、他の人に話そうとすると、そういうところで気を遣うので、その方が大変だ、だから言わないですむものはやめておこう、と思っているようだということがわかった。

 

先々の話になるだろうが、転移してきたら、骨が砕ける形になるから、稽古も続けられないだろう。そう思うと、タイムリミットがあるので、なるべくできるときに稽古はしておきたいと思うようになった。