毎日が本番

ライフログ

帰るところ

今年はお盆のお墓参りを自粛したので、資生堂パーラーのゼリーと、腸詰屋のソーセージたちを、叔父の家に送った。

従弟夫婦が主に墓参りとか掃除とかしていてくれるので、叔父叔母と従弟一家い送ったつもりで、ほんのほんの気持ちだった。

父はお墓は不要、経済的メリットがないから、と亡くなる間際に言っていたし、実際自分も墓参りで帰省、というのはほぼやっていなかったように思う。

 

とはいえ、私は他に身寄りがないようなものなのと、お墓がないと何か拠り所がなくなってしまうので(仏壇はあるけれど)、お墓を建てて、せっかく自分がたてたから、少なくとも年一回はお参りに、、と思っていた。

今年はそれが難しいので、せめてもの気持ち、と思っていたところ、

夜に叔母から電話がかかってきて、こんなにたくさん、どうしたの?と言われたので、気持ちを伝えた。叔父にかわってくれて、少し話をした。

叔父は尊敬するビジネスマンなので、仕事がどうだとか少し話した。

 

叔母は、少し認知症になっていたらどうしよう、と心配していたが、電話では全然そういう感じがせず、叔父は全然変わりなく、こういっては大変失礼なのかもしれないが、ひさしぶりに高齢の方と話すときに、ある種の身構えをしなくてよかったので、すごく不思議な気持ちだった。

おもいかえせば、10年近く、母や支障が認知症だったので、そういうつもりで気持ちを整え話に行くことになれすぎてしまったせいか、年配の方の声を聞いて普通に会話ができることに違和感さえ感じた。

 

叔父は、「おちついたらいつでも帰ってきていいよ」と言ってくれた。私の実家は東京だから、茨城に帰ってきていいよ、と言われるのもまあ不思議なものだが、それでもすごくうれしいというか、じーんとして、涙が出てしまった。

年上の人で、甘えていい立場の人がいなくて、甘えていいというかこういうふうに気にかけてくれる人がいなくて、今までずっと気をはっていたのだな、というのがわかった。

 

うまく説明できないのだが、本当によかった。

 

そして、両親の診療所の書生さんにあたる方で、私が小さい時に遊んでくれた方も、いまだにお墓参りをしてくださって、感謝でしかない。

両親は、生きている間はそんなにすごいと思わなかったけれど、すごい部分もあったのだな、としみじみ思う。今更ながら。

 

私が死んだら、誰かずっと思い出す人はいるかな。