毎日が本番

ライフログ

審査

14日は、7回目のPマーク審査だった。すごくあたった。

審査員の方が、学術的な話で、それはそれで理解できるのだが、実務への落とし込みのところでは辻褄があわない?というか理解に苦しむこととか、が割と多く、心と頭の中に膿がたまった感じがした。

それとともに、担当者の特徴が際立ったことがあって、それがすごく何かまた私の中の何かにさわって、ぐぅ、という気持ちになった。

最近、クライアント役になるときに、この人をクライアントにしたて、この人がどういう思考で行動しているか考えてみようとしていたが、わかるような気になっていただけのところもあったり(というか私の期待が入ってしまっていたり)、苦しい気持ちになった。

今の日本の社会は、体調が悪いということを言われた場合、業務上の指摘にもものすごく気を遣わなくてはならなくて、会社の方針としてこうしたい、ということが、その人の気分に触りそうな場合や、スケジュール的に圧を与えそうな可能性があるときは、会社のアウトプットクオリティを下げてでも、やらなくていいことにしたり、こちらで引き取ったりしなくてはならないから、まあ大変だ。

 

世の中の多くのニュース等が、体調を不良にしたり、我慢したりした側の立場を守ることを中心に発信しているので、企業の存続のためのクオリティの話とかは、きれいごとでしか伝わってこず、いったい世の中の人は、クオリティをどうやって担保しているのだろうと思う。

 

ぐう、と思いながら、1日過ぎ、15日は、3月におこなうはずの五段以下審査会。

無観客?だったため、応援にもいけず、合格祝いは先輩と3人で一人を奮発した焼肉となった。道場の真ん中でひろびろと焼肉。。。こんなのもまあいいかも、という感じだ。

 

私の審査は、再来年の1月予定で、圧倒的に変わらねばと言われているが、いろいろ言われることのしんどさについての話になった。言われるのはそうだな、と思うけれど、やっぱりいらっとしたり悲しくなったりするし、ちがうよ、と思うこともたくさん。

そう見えるのだから仕方ないね、とは思うが、思い込んでいやがってるだろ、みたいに言うのはやめてほしい。

特に、私はプライドはあるかもしれないが、師匠とさいごに稽古していたところにはプライドは特になくて、それよりあのときは、こんな稽古ばかりしていていいのかいいのかという不安でしかなかった。これはプライドではないよな、、と思う。こういう人自身が、師匠と稽古したかったんだろうな、と思う。でもあれはほんとに大変だったよ。気づきや他ではできない素晴らしい稽古ではあったが、それがプライドで今姿勢が治らない、というのとは全く関係ないと思う。

 

審査も、人が判断することだから、難しい。