毎日が本番

ライフログ

さくら2022

先週は汗ばむほどの陽気だったが、今週末は肌寒い。
少しだけ咲き出した桜を見に、例年通り新宿御苑へ。
昨年同様、この季節は予約が必要なので、一昨日土曜日に予約済で、11時に訪れた、

ここに来て桜を見ると、毎回思い出す。
ハワイから一時帰国したときのこと。
震災のときのこと。
両親のさいごの世話をしていたときは実家にいたので多分これてなかったように思う。代々木公園へ行ったな、とか。
他の場所で桜を見ることはあっても、私にとってはここが原点だ。
コロナになり始めたときのこと。
そして今。
自分の仕事の状況とか、暮らしの状況とか、稽古のこととか、病気のこととか。

今年はスタバも並んでいたけど落ち着いていて、和カフェができていたのでそこで抹茶を飲んだ。器が真っ白でカフェ風で、ちょっと違うけれど、父と一緒に行った青蓮院の抹茶を思いだして涙が出てきた。

今日は人目もはばからず、可愛がっているぬいぐるみの写真を撮ったのだが楽しくて仕方なく、いやあー楽しい、と思った。
ひとりでマイペースでのんびりしたいだけなんだなと思った。日々のコミュニケーションが面倒すぎて、ぬいぐるみに語りかけるのだけでもういい。

※アリミデックスの副作用で、やはり明らかに関節が痛む。特に右肘。泡石鹸やシャンプーを出すときに右手で押すと肘が痛い。あと、座っていて立つときによっこいしょとなる。稽古の飾りができなくなるかも、、、関節痛というか、筋肉痛という感じが、、、
でもたった今、右膝が痛くなって辟易した。

さて、来週はある程度方向性が見えてしまう。私は変わっているということだが、ただただ、いつもやっていることをできるだけ長く同じようにやりたいだけだ。
といいつつも、少し身の回りの整理というか、ものを捨てようと思い始めた。だんだん、自分でもいろいろ見つけられなくなるし、ということだろう。

こんなふうに、いろいろ思っても、それとは関係なく毎年同じように咲く桜に感服だ。

放射線治療を受けた場所でもうっすら汗をかく

放射線治療終了から、もう少しで2か月。もうだいぶ色も落ち着いてきた。

追加照射をしたあたりが、まだ色が残っているな、という感じ。

保湿はまだ続けている。

そして、今日は日中とても暖かく、20℃を多分超えていて、稽古のときに暖房なし、窓をあけて換気、扇風機を回す、という状態だったが、表中段をしたところで結構汗ばんできたかな、と思ったので、更衣室でそっと右胸を見てみた。

さわってみたら、ほんの少し、汗ばんだ感じがした。全然汗が出なくなる、という話は聞いたことはあったが、そうでもない。もしかしたら部分的には出ていないのかもしれないけれど。

そう思って、なんかちょっと、おお、回復かも?と思ったので、追記。

アリミデックス40日目くらい

アリミデックスを飲み始めて40日くらい経った。
先週は、特別稽古と演武会、特に十手の稽古のせいで筋肉痛と関節痛のミックスですごくいろいろ痛く、筋肉疲労用のバブを入れたお風呂に入っていたくらいだった。

筋肉痛はだいぶ治ったはずなのだが、関節痛はやはりひどくなっている気がする。
右肘が、石鹸やシャンプーのポンプを押すときにさえ痛む。先週、杖をふるときにいたいな、と思ったが、今は手を洗うたびに痛い。

あとは、股関節と膝少し。以前は古流の飾りとか、しゃがんでもヨッコイショにならなかったのに、今はいちいちはずみをつけないとできない。

右胸奥もなんか時々痛いし。
右手を頭に当てると、右胸から脇にかけてあたりがつっぱる。
でもまあこんなものか。

更年期的なホットフラッシュとかは、薬を飲み始める前より良くなった気がする。
まだ術後5ヶ月だから、様子見ですね。

十手と影と豚汁

3月6日は、47周年、追悼の演武会だった。

 

前日は朝稽古の後、お弁当の手配、お花の用意をして、14:00から17:30まで稽古。

豚汁だけ用意。

 

もしかしたら、これが最後になるかもしれないという思いを持ちつつも、

ドタバタしてそんな気持ちになるスキがないところはいつも通り。

 

合気道の先生もいらして演武。そして、またしばらくお目にかかっていなかった合気道の先生もいらしてくださって、ぐっとくるお話しを伺った。

おもえば、47年前は、無茶苦茶な人がいっぱいというか、それが当たり前のエネルギーがある時代だったのだろう。

今はリスク回避とコスパの時代だ。そのなかでどうやって生きていくか。

 

合気道の先生の本に書いてあった、自分の使命を考えたり、無の気持ちに近づくようにして演武をした。

十手はかぶせ打ちを色々変えたのでできたかどうか。

オーダーは鏡開きと同じにした。なかなかうまくできないのもあった。気持ちだけは無に近く、負けずにがんばれたが。ジャンプができなくなったりしていて不安だったが、この週末はしっかり飛べた。アリミデックスに負けないで、やっているうちにできるかもと思い続けてやり続ける。

影は細道をがっつり失敗した。気持ちは今思い出せないくらい無になっていたような気もする。

 

お弁当を食べていつもよりは人と話して、ひととおり終了。

17:00頃帰宅。

 

土曜の稽古から、かなりの筋肉痛なのか、アリミデックスの関節痛なのかわからないくらい痛くて、しかも膝を変についたため、あざがよくなったりさらにあざになったりとなっている。筋肉痛だろうな、と思いつつも、前はこんなに筋肉痛にならなかったから、アリミデックスか、と悩むところ、、、数日たって治ってきたら、筋肉痛だ。

 

このあとどうなるかはわからないので、あとはできることを一生懸命、誠心誠意をもってやり続けるだけ。

 

 

両親にあらためて感謝

20代の頃は、結婚してだんなさんのサポートをしていくものだと、自ら稼ぐことはあまり思わず、昭和的価値観だった。

両親が、不自由なく育ててくれたおかげで、お金に対する執着もあまりなく暮らせてきた。

いろいろあって、結局自分で仕事して自活するような暮らしで落ち着いた。そしたら、それはかえって自由だということに気がついた。父が言っていた、freedomということか?それともlibertyか?
よく聞いておけばよかった。どちらかわからない。心の自由はどっちかな?イメージはfreedomだが。

父が亡くなる少し前に、勉強させてもらったので、自活できる力がついたので何もいらないと話した。父も同じだと嬉しそうだった。

働いて、コロナで旅行もレストランも行かなくなり、つきあいもなくなったので、お金を使うシーンが減った。
自分用に何かいいものを食べようとしても、千円のお弁当で満足するタイプではなく、いつものスーパーの五百円くらいのお弁当のほうが好きだったり、自分でシンプルなお弁当を作る方が好きだったり、結局自分が嬉しいところはこんなところなんだな、というのが、よくわかってきた。もちろん時々、うなぎやお寿司が食べれるととても嬉しいが。
それも超高級な必要はなくて、美味しいね!という感じが好きなのだ。たぶん。
そもそも量も食べられなくなってきたし。
つまり私はほしいものもほぼなく、平和に同じように暮らしたいだけなのだ。

いろんなものに固執せず、サラサラとした私に育ててくれて、両親に心から感謝だ。ありがとうございました。そんな自分でよかった。平和に、丸く暮したい。

アリミデックス そろそろ1か月

アリミデックスを1月31日から飲んでいるので今日で26日目。飲み忘れて昼頃になることはあっても、完全飲み忘れはなく頑張って飲んでいる。

 

ここ1週間くらいで、朝膝が少し痛い感じがすることが増えた気もする。股関節痛はそうでもなくなった。

昨日は肩こりというか左肩甲骨あたりが痛いような感じがした。

一度、指がおかしい感じがしたようなときもあった。

 

今朝は身体がミシミシした。

 

というのが少しずつ増えつつあるが、生活できないくらい辛いとかではないので、まだまだ様子見。タイピングも問題なし。ぐーぱーすると、ちょっときしむ?ような痛み?はなくもないが、前からときどきあったような気もする?のでこれも様子見。

手のそりが前よりなくなったかもしれない。写真を撮ってみよう。

 

一方、放射線の後はだいぶ薄くなった。白いカスがちょっと出たりするが、あまりさわらないようにしている。

放射線をあびていたときそのものよりも、1日か2日に1回くらい、右胸奥がチクっとかぎゅーんとか痛い。

 

体調は、今思うと放射線治療中は結構だるかったが、2月からは普通になりつつあり、ここ2週間くらいは忙しい(9時近くまで。朝ちょっと早い時もあり)が、なんとかやり切っている。くたびれるが。

ホットフラッシュも、なくなりはしないが、だいぶ減った。アリミデックス効果?

またなんかできていても、ああそうかい、という気持ちだ。いまのところは。