毎日が本番

ライフログ

砂嵐が過ぎるのを待つ

朝から40周年会議で、皆が決めて進めるのが苦手なようなので、お伺いはたてながらもどんどん進めた。
もうどうにでもなれという雑な気持ちだ。

フランスからも心配の電話が来た。こんなにイラついているのに、サポートしてやってくれとかお願いしている自分はいったいなんなんだと思う。

仕事もメールひとつくるたびに震え上がるくらい気持ちが落ちている。
なのに、おばさんや父からいろんな誘いが来て、断りきれない。

誰とも話したくないし、誰とも会いたくない。頼りの人は外国だ。楽しんでる間にやめようやめようと思っても、今日は我慢できず少し愚痴LINEを送ってしまった。なんの解決にもならないのに。

久しぶりに来てたいへんだね、とだけいう人とは目を合わせることさえ苦痛だった。
しかも親の具合が悪いからかえるだと。私の親もずっと調子悪いよ。

神様、いつか、越えられるのでしょうか。これはなんの意味があるのでしょうか。意味などどうでもいいのだと思う。

あの、12年ほど前の辛かった時のことは、もう薄ぼんやりとしか思い出せない。あのときはどうやって乗り越えたのだろうか。

砂嵐がすぎるのをじっと待っていたのだ。
しかし、本当に辛かった。
そのあとの喪失したときも辛かった。

あのあと、一人で完結するように訓練したのだ。
今回は何が辛いかというと、責任と判断を繰り返さなくてはいけないことだ。そしてそれが承認されればよいのだが、それでも文句を言われることがあるのが耐えられないのだ。
承認欲求?というよりかは、やらせてるんだから文句いうなよ、というところだ。
私がやらなきゃ困るくせに、というイラツキだ。
だから早く引退したい。

休みたい。寝たい。
マイペースで過ごしたい。
せめて、掃除、洗濯、料理を落ち着いて行いたい。