毎日が本番

ライフログ

暖かい1日

暖かい1日。
土曜だが、お掃除のおばさんは七時五分にドアをガタガタしてやってきた。

ランチはカレーを作った。
たくさんつくって師匠にお裾分け。

道場にいって、フランス人にいろいろ頼む。
しかし、何かエネルギー強すぎて、気持ち悪く頭痛になった。

実家にもどって、ボンゴレとフライドチキンとサラダ。
デザートにいただきものの八橋。

そこでメールなどしたのがいけなかった。

来訪者がいると。
彼女は家にいれてほしくなかった。
あのことをひしひしと思い出すから。
もう、あの家に行くのはやめよう。
というか、この間あんなことを言い出して、一緒に寝なくなったのはこのせいだ。あのときもそうだったから。

ああ、私がいけないんだ。ベストな時間に料理の打ち合わせなどいれたから。
たしか、花見にいきたがっていたか何か。何いってるかわからなかった、あのとき。
でも、こんなこと、ささいなことで、関係ない。もっと前から始まっているのだ。

彼女は別にどうでもいいのだが、都合いいときだけ来て、お客算していて、でも昔からいて人当たりがよいからかわいがられて、でも肝心なところには踏み込んでいなくて、そのくせ、私に大丈夫とか、声をかけてきて、心底むっとした。そんなの、たいへんに決まってるよ、大丈夫とか、言うんだったら、できる限界のことやれば?表面ばかり、優しそうにして。
私だってぜんぜん足りてないけど、でも自分でできる限界はやってるよ。大丈夫とか、気安く言わないで。そういう人には大丈夫と言うから。私の大変さなんてわかるもんか。

やつだって、きっと悦に入って、自分には稽古だとかいってるに違いないと思う。そうだね、頑張ってとか言われてると思う。わからないやつらが何いってんだよ、と思う。それなのになんでとよりにしてしまうんだとも思う。バカなんだろうか。

あのときと恐ろしいほど同じだ。
あのとき、いろいろ知りたくて、でも否定したくて、すごくしつこくした。
さらにわざと連絡しないようにしようとした。1日メールしないのだって辛かったと、今更ながら思い出す。

神様、これは何の修行ですか?
今すぐ何もかもやめてしまいたいくらい、さっきの彼女が来ているというメールは傷付いたというか、古い傷に塩を塗った感じだ。

私は、いい人ぶって、おごりすぎですか?
こんな気持ちから解脱したい。
でもその前に全部出しちゃいたい。くだらないことだって認識するため。
でもこの気持ちはリアルで、本当で、どうしようもない。今の私には越えられない。

あのときと季節まで同じだ。

電話するのはやめよう。電波が悪いことにしよう。寝たことにするにははやすぎだもんね。

私に何か金銭的に何かしようとしたのは、もしかしてではなく、悲しいけれどやはり、彼女かまた別の誰かかと始まったからだ。だから、そのことでうしろめたいから、何かしようとしたのだ。
人の行動の癖はそんなに変わるものではない。だから、なんか違和感があったのはそのせいで、違和感と伝えたら、向こうも何か感じたかもしれない。

何でわからないんだろう。あのときも、彼女といたとメールしてきた。そのあと、もう好きじゃないとかひどいことをメールしてきたな。なんか、また、きっと、同じだ。残念だ。でも、今回は前みたいに信じきっていないから、、、と思うけれど、心の支えだったことに変わりはないのにな。

悲しいことっていくつもいくつもおこるんだね。

わたし、がまんできないんだ。今のこのいっぱいいっぱいの毎日を。責任ありすぎる仕事を。
私が去ったあと、うまくいかないことがいろいろおこり、ざまあみろとか、おもうんだろうな、とか考えてたけど、だからなんなの?という感じ。なんにもならない。

期待され過ぎている道場と実家。ほっておけないが、疲弊してさらにお金がかかる。
いやならやめればと思うが、やると決めたから、中途半端にしても仕方ないから、適当にはするけど、やれるところまでやることにしたわけだ。徳を積む修行として。

さあて、この嫉妬でドロドロした気持ちをどうしようか。