毎日が本番

ライフログ

目指すところ

審査会の後、先生と話して、私は「やっつけたい」とかそういう気持ちがもともと薄いということと、そんななかでどこを目指すのか、という話題になった。

先生は、私が仕事でどういうふうに考えるかを例にして何か伝えようとしてくださったが、何かちょっと違う感じがした。

私は全部自分で仕切りたいとかそもそも思っていないからだ。

 

誰かに勝ちたいとか、やっつけたいとか多少はあるかもしれないけれど、他の人のそういう気持ちとは違うたぐいのもののような気がする。

 

少し経って、師匠が昔々、「おまえのいいところはまだみなにはわからない」とか「お前はこうしなさい(いくら杖でせめても、ふわっとかわしちゃうような太刀になれ、みたいな?)」「自分のバリヤーがどうなっているか感じろ」みたいなことを言ってくれていたことを思い出した。

 

私が日々、なにか違う違うというか、違和感というかを感じるのは、今一緒に稽古している先輩方と、私のいいところと師匠や他の先輩先生がみつけてくれたことが、違うからだ。私が、私のなりたいところのイメージをもっていたとしても(それが師匠がおまえのいいところ)といってくれたことだとしても、それは今一緒にやっている方々にはいいものだと思われないから、否定されたり(そこまでいかなくてもいいという反応はないだろう)することが続くのだろう。だから圧倒的に変化しろとかそういう言い方になるのだろう。

先生は、自分でもわからないかもしれないが、そういう「絶対負けない」気持ちはまわりから見ているとわかる、とおっしゃるが、たぶん、私のそういう気持ちはつたわらないよな、と思う。今一緒にやっている方は、第三者的ではなく、自分のめがねで私をみるから、その人の価値観に沿った形でないと、「いい」というふうに感じないからだ。

 

せこい私は、それはそれで応えるようにある程度努力し(そう感じる人がいることは事実だから)、本当に私のいいところ?をみつけるように、いろいろ思い出しながらやってみようと思う

 

すくなくとも、昨年亡くなった気功の先生が、私と師匠が真剣勝負していたときに、「今日はこれが見れてよかった」みたいにおっしゃってくださったから。あのときは姿勢ががたがただったけれど、気持ちが伝わる人もいるから。姿勢がくずれないであの気配が出るように、稽古を続けるようにまずはしようと思う。

 

ひとつよかったのは、私が求めることは、言われていることとは違うところにあって、それは私だけがみつけてつくっていくものだ、ということ。それがいま、否定的に言う方にいつか伝わるといいのだけれど、それさえ超えなくては。

 

※「プライド」のことは、プライドはない、と言ってみたところ、だったらもっと劇的に変わらないと、と言われたけど、なんか辻褄があってないなと思って、とにかく劇的に変われ、ということなのだけれど、私は劇的タイプではないので、少しずつ変われるように努力を続けるようにする。師匠も、おまえのいいところは、変わろうとするところ、といっていたから。それを信じる。むしろ、そういうことを言う人そのものが、自分はこれでいい、と思い込んでいるに違いないと思うようになった。プライドも、その人自信がもっていると明確にわかった。「自慢じゃないけど、師匠とさいごに演武したのは自分」と言い切っていたから。そういうことか、やっぱりな、とすごくすごく思った。

私が師匠とさいごずっと稽古していたのは、プライドとかではなく、修行だ。その答えは、すぐにみつかるものでもなく、今模索しているところ。

 

少しずつはできるようになってきていると思うけれど、これからも口答えというか、いろいろ言わずにできるだけ寡黙にやろうと思う。

(本当にいやなのだ。すごく浅いことをペラペラ話すくせに、といつも思うのだが、それさえ超えなくては)