毎日が本番

ライフログ

決定的

また指摘されてしまった。
キャーとか言うなと。
たしかにそれは私のキャラではあるが、先生や先輩がいらしたときに、何かを期待されていることを感じてやっていることもあると思う。
特別稽古で、うちに帰ってホッとしたときに限り言われるから、きっとそうだ。

西郷どんのコロナに相当反省して、そういうことは見せないようにと行動を変えたつもりだったが、また言われたので、今回ははい、あらためますとだけ言えた。これは進歩だ。心の中でどう思おうと、私はその指摘が嫌だからやめることはできる。そもそも、それは先輩にあわせているだけだから、自分のペースでやれば別にそうする必要はないので、やりたくなったら、指摘する人がいないところでやる。

今回は、決定的に、ここしばらくストレスだったいろいろのこともまざり、心を完全に閉ざした感じがした。

私は私のペースで生きたいのだ。この家だって、私のものだし、食事も好きなものを好きなときに食べればいい。
人がなにかしているときに、昭和のお父さんみたいに、それを遮って何かやらせるのもほんとうに不快だ。不快、というより、それを感じないような人に、稽古とかでの感じ方とかでとやかく言われたくない、と思ってしまう。でもそれを感づかれるのさえ悔しいから、とっととやってやって、そういうことを感じる能力を低下させてやろうとおもって、その場を早く早く終わらせたいと考える。
今日、本当に明確にわかった。わたしは、わたしだけ大事で、鬱陶しくてしかたないのだ。

そしてもう一つ。
なにかにつけて、2回くらい明確に、師匠と稽古したというプライドがあるから云々といわれたが、私にはそれは、よその人とやるときにはディスアドバンテージでしかない。しかも、最後の頃は、他の稽古ができず、ドンドン遅れてしまう、形が崩れてしまう、、、という悲しみとあせりややるせなさでしかなかった。

三段ころは、自分がそれなりと思っていて、他所の人と違うところがいいところと思っていたからそれこそがプライドだったかもしれない。でもその後4段5段に落ちて、最後によその人にいろいろ言われて変えた頃は、全然考えが変わっていた。

結局、あの人の考えるように行動しておかないと、文句ばかり言われるから面倒だ、ととにかくそればかりだ。

今までたまっていたが、楽しく暮らしたかったから、蓋をしていたことがいっきにわかった今日だった。

怒りとむかつく気持ちでいっぱいだ。

もう好きじゃないとか、〇〇さんと一緒にいましたとか、みんなで仲良くしたいとか、そういうことを言われているので、本当に辛くて、多分それで大腸がんになったと思っている。
今は、面倒くさくしないでおけば、かまっておけばよそに行かないとわかって、うまく合わせてきているが、それは結構ストレスだとわかった。
アノ頃は私は一人は嫌だったのだけど、そのおかげで、ひとりで十分、ひとりがいいよ、ということになったのだ。
若いときからずっと結婚したくて、守ってほしくて、正和のお嫁さんを希望していたのだが、それはもう全然希望することではなくなって、今から思えば、ああ言っておけばよかったのに、とかいっぱいある。
とにかく今は、仕事もあるし、一人分で本当に良い。
面倒なことはもうやりたくない。