毎日が本番

ライフログ

どう考えてもストレスの夢

昨日は尾久というところにいって、意外と近く、昔の渋谷区の雰囲気も出ていて、いいのでは、、と思った。。

気分転換になった。

 

夜は稽古に行った。ひさしぶりでいいな、と思いつつも、否定されることの恐怖でいっぱいなのだ、という気持ちにもなった。他の先輩たちは姿勢が少しアレでも、やった感を出してそれぞれ稽古しているので、どうして自分なりに稽古できるのだろうと少し不思議にもなった。

 

そして夜、こんな夢を見た。

誰かの結婚式に出るので、それらしい洋服でどこかへ行く。

途中で、何かお金関係?領収書?などで何かをもってきてほしいとか、あれが不足しているとかいろいろ言われる。そしてそれを取りに家に戻る。何かをもってきてとか言ってくるのは、キャリコン関係の上の人(心の中でこの人が怖くて仕方ない)

家に帰って、ほっとしてしまって、一息つきすぎたり、他のことを思い出していろいろやってしまって、どんどん時間がすぎる。そして、洋服がいつものと違うのでなかなか脱げなかったりする。そうすると、年上の(もうなくなっているはずだが、、、)誰かに胸をさわられたりするというおそろしいことがおこる、、が断れない的な。。。

私のストレスとか苦手とかが凝縮した夢で、すごく疲れた。

 

楽しい夢をみたいものだ。

何のストレスだろう つづき

何のストレスだろうと書こうと思ったら、昨日も同じタイトルで書いていたとは、、、

 

夜寝る時とかに、声をあげてしまっていた。

ヤダー とか。2,3言。

右腕に引っかき傷もみつけた。何かかゆかったのか???

 

今週末と来週末、土日が終日稽古試合なのがストレス。

稽古だけでなくてランチとか直会とかがあって、一人の時間がないのがだんだんきつくなってきた。

 

仕事も、Todoの在庫がとにかく減らない。

減らしてもつぎつぎとたまってくる。

減らしているのはたしかなのに、ゼロにならないからいつまでも気が抜けない。

人が忘れている作業やメール返信が進んでいるかの確認をすることもストレス。これはやらないでほっとけばいいのだが、そうするとあとで面倒なのでタスクとなる、、、、

 

タスクの在庫、、、

土日もどちらかでタスク処理とか掃除洗濯をしないとたまっていくので、それもまたストレスだ。。。

なかなか解決方法がない

9月~10月くらいの講座の依頼もきていて、それも面倒だ。また逼迫する。。。がやらないと売り上げがのびない。昨年はその頃検査と手術だったのだ、、、

 

 

 

何のストレスだろう

何のストレスか、なんとなくわかるが明確にわからないのだが、

すごく掃除をしたくなったり、いろんなものを捨てたくなったりしている

 

今週末は大会と特別稽古で、来週末は外部の稽古会。

土日もレポート採点をしたりしないと全く追いつけないので(平日に夜遅くまで気合でやるということができなくなった。朝も起きられず)、業務がこなしきれないのがみえているのと、掃除洗濯を土日にやりきれないとかがストレスになっているのだと思う。

 

そもそも稽古は、私のよいところを伸ばそうとしてくれていた師匠はもういなくて、どこにいっても私はそもそも武道家という感じではないので、悪いところばかりに見えるからだ。迫力もないし、きゃしゃで安定していなく見えるから。

私の集中力とか細かい手の内的なものとか、感じる力とか、そういうものをおそらく師匠は知っていてくれたのだけれど、今の周りの人々はそれそのものがたぶんわからないか、少しはわかるかもだが、師匠程の理解は当然ないし、そこに重きを置いていない。

数日前に、ある程度何か来ても、力ではなく技的なものでかわせるという感じがしたのだけれど(十手ではなく杖で)そういうのもたぶん評価ポイントではないのだ。

ダメなところダメなところを直そうと指摘を繰り返されすぎていて、なんかいつも具合が悪い。一方、人々には指摘をしないで黙っていた方がいい。それは私の指摘の仕方が必ずしも上の人の考え方とマッチしていない可能性があるからだ。

というわけで、実はもうすごく後ろ向きだ。

いつもいつもひとりでいたい。一人の時間がもてたとしても、それでも次のこととかいつもいつも考えているので、いろんなことから解放されたい。ものもいろいろすてたい。

アラカン

ついに、16日土曜日大安の日にアラカンになった。

1980年代に、定年が55歳から60歳に努力義務化となったそうだ。

1998年に60歳定年制となった。このとき私は31歳だ。

私が若手?だった頃は、25歳までに結婚しないと、売れ残ったクリスマスケーキとか言われたものだった。今だったらものすごいハラスメントになることが、30年で価値観が大きく変わったのだ。

私が大学生のころ、アメリカでは女性が普通にはたらき、ホームステイしていた家も女性がバリバリ働いている一家もあった。そうでない一家もあったが。今の日本に近いかもしれない。

 

そして、結婚して寿退社をして子供を育てて、、という価値感はもっていたのだが、まったく違う道を歩み今に至った。もし25歳までに結婚してこどもも産んでいたら、今こどもは30歳だ、、と思うとすごいびっくり。

 

そんな16日は、朝普通に稽古。前の日に渋谷区がん検診でバリウムを飲んだためおなかの調子が悪く、、ランチに高島屋のレストランで韓国料理を食べたらなんとなくおなかがずっとはってしまって、夜はちょっと何かつまんだ程度。

天気も梅雨のようで、調子も悪く、RMKで冷たいローションを買って楽しい気持ちにはなったが、それだけだった。

ひとりでゆっくりできたのが、自分へのご褒美のようではあったが、もっと何か買い物とかレストランで食事とか、してみたかったといえばしてみたかった。

翌日が稽古会で気持ちが落ち着かなかったのも一因かもしれない。

 

仏壇の掃除などをして(ちょうど東京のお盆が終わったので片付け)、両親の写真をみながら、毎日つらいつらいと泣いてしまった。

何がそんなにつらいのか、というと何やら処理しなくてはいけない(と思っているもの)が多すぎて、全然終わらなくて、分単位でいつもやることを設計して処理して、意外と時間がかかったとか、毎日毎日思っていることだ。

 

ラカンになって、もうつまり還暦。私の生まれた頃は、定年だった時代だ。

1970年に女性の平均年齢が74歳になった。そんなころ生まれた私の健康寿命はあとどれほどだろう。好きなことを楽しくできるようにしていきたい。今はやろうと思ってもとらわれてしまう。

熱中症気味

8日金曜日、展示会に行く途中で、安部元首相の銃撃ニュースを見て、心がざわつき、その後訃報を知る。ニュースはそれ一色。諸外国の反応にも驚く。

自分の生き方とか、いろいろ考えてしまう。

 

9日土曜日は朝稽古の後、いつも通りタリーズで朝ごはん。このいつも通りということが実はかけがえがないのだろう。朝稽古で審査までのダメ出しをいろいろ聞きつつ、自分の動画見ながら、いろいろやってもどうがんばってもダメでどう見てもいい感じじゃないからダメだろうなと思った。

師匠の墓参りに行き、手をあわせる。しかし、心が上の空になりそうな感じだった。

帰宅して、冷やしうどんを作って食べて、洗濯などして、昼寝。

夜は安部元首相のニュースをみつつも、展示会の名刺整理を12時すぎまで行う。

 

10日日曜日午前中は、ブラーバで掃除をしてもしても床が汚い(というか、どこかから汚れたものをブラーバが拾ってきて広げている?)のが気になり、マイペットで床を全面的にふいた。ソファーの下にナッツの粉が散乱していて、かなり悲しくなりながらも掃除をした。これで何か浄化されるとよいと思いながら。

 

そして、稽古は、暑いので白い稽古着にしつつ、後輩と制定をしたのだが、後ろ足をはるようにとか、胸をひらくとか、こんなロボットみたいな太刀でいいのかと考えながらも、そういえばこういう人いるかもなーと思いつつ稽古。自分が杖をもったときは、すごく昔に師匠と何かの稽古をしたときに、気功の先輩が「今日はこれをみれてよかった」といってくれたときのことをなぜか思い出して稽古した。

相手が壁ドンになるくらい。でも体が傾いたな、と反省。

そして、そこまで熱中症という感じでもなかったのだが、へたりこんでドリンクを飲んでいたら、もう休んでおけばといわれて、最後少し変だったとかいわれて、あまりやるのはやめた。

こういう気が出たような稽古をしても、ただのイイワケで、やっぱり私の演武は、よわよわしいかくねくねかとかで、全然だめで、いいところなどないのだ。他の人がどれだけ足がくねとなっていようが、私が一番くねとみえるので、ひざが逆にまがるくらいにしないとだめなんだ。そしてそれでも伝わらないんだ。

人生で、こんなに自分がダメだと思うことがあまりない。もう自分が否定されることからは卒業したい。

夜は選挙速報をちょっと見て、展示会のお礼メールをセットして、寝た。なんかくたびれた。いろいろなことに。

こんな感じで日々を過ごし、ある日突然死んでしまうこともあるのかと思ったりもした。いろいろなものを捨てたくなった。

人生は冒険

滝澤カレンさん、ご結婚おめでとうございます。

ご結婚報告の中に、「人生の冒険相手」というフレーズが出てきて、お相手の方も同じようなフレーズを使ったそうで、とてもとても感動した。

 

ああ、人生は冒険なんだな、と。

冒険をワクワク楽しめていて、とてもすてきだな、と。

 

私は冒険しすぎて?楽しめなくなってしまっていて、どこか祠の中に引きこもりたくなっていて、とにかく誰も話しかけないで!と思う毎日を過ごしている。

 

20代の頃、30代前半は、本当に人生を冒険しすぎて、でも楽しかったことがやまほどあったな、と思い出した。20代半ば頃に一緒に仕事をした人たちと今でも仕事の相談をしてすぐわかってもらえたりしたことがあり、なんて楽なんだ、と。

話が通じないことの苦しみ、というかがっかり度というか、そういうものに日々でくわして、本当に疲れてしまっていた。

 

でも、人生は冒険だ、と思えば、もう少しどうにかなるのでは!くたびれていても、それでも日々ちっちゃい楽しいことを大切に、そうしようと思った。滝澤カレンさんありがとう&おめでとうございます。

あるあるなこと

ようやく週末に仕事をしなくてもどうにかなるようになった。

朝から玄関からの廊下をマジックリンで掃除。だいぶ汚い。

イモリの水槽も掃除。

洗濯も。

候補者がなかなか決まらなかったのだが、できることは少しでも進めておきたく、稽古前に期日前投票に行くことにした。

ネットでいろいろ調べて候補者を決めて投票へ。帰りに鳩の杜神社でお参り。わっかを1週半くぐったところで知人に出会う。

 

私は実はひとりでいるときに知り合いに会って話すのが苦手だ。

できるだけ避ける。

だが、この時はなんとなく避けることをせずに話した。

諸々気を遣っていただいていることにお礼を伝え

こちらの話は適宜話す。

よくこのように、なんでこんなところで会うんだ?というときに人に会ってしまうことが実は私はよくあったりする。昔からだ。一つ一つは思い出せないが。

 

新卒2年目のころは、同期であったことのないYちゃんにオフィスの階段で会ってうれしかったり、地下鉄の駅でNYでお世話になった先輩に会ってうれしかったりしたことを思い出したが、それだけだ。きっと。

そのあといろいろ年を重ねて、人と会って話したりすると、その人が期待していることを話さないといけない気持ちが強くなって、それでくたびれてしまうので、避けるようになった。正確にいうと、いつもオートマティックに人が期待していることを話すように頭をフル回転しているのだ。

おかげで営業とかはうまくいくことが多いが、とにかくいつもくたびれている。夢もだいたい人にどう説明しようかとかそういう内容が最近多い。

 

ランチはのんびりうちで食べる予定だったが、急遽新宿でお礼のお菓子を買って、お弁当も買って、あわてて家で食べてから稽古へ。

鳩森神社ですごく汗をかいたせいか、ソルティライチを飲んだりいろいろしても、頭がぼーとしてしまった。稽古もなーと思う。私のやりたい稽古ができるわけでもなく、私のいいところをわかってもらえる師匠もいなく、いいところはないのかもしれないが、なんかもうどうしようかなーという気持ちになる。どうやったってどうせできないという気持ちが強く強くなってきた。

直会で料理することくらいだ。得意なのは。

 

帰ってきて、イモリにごはんをあげて、やっと食べてもらえてほっとする。

それから鎌倉殿を見て、オールドルーキーを見て寝ることに。夜は平和だった。