毎日が本番

ライフログ

放射線治療1回目

CTから一週間後、初の放射線治療

13時〜15時は、東京駅近辺で打ち合わせ。なぜかすごく前向きな話し方をしてしまった。営業気質だから仕方ない。

4時半から初の放射線
マークが消えているところをなぞったけどブレブレになってしまって大丈夫かと質問したら大丈夫と看護師さんやら技師さんにやさしくしてもらった。

1時間くらい、場所合わせとかしてかかった。
背骨がまがっているからマークとずれたのかと思ったと、診察で先生に伝えたら、そんなことないと言ってもらった。
技師さんはラジエーションハウスなかんじで、楽しくお話して、不思議な気持ちではあったがほんとに楽しかった。

途中から生あくび、眠い、、となったが、思ったほど体調不良にならず、帰りに新宿エキナカで中華のおかずを買って帰った。

週末は道場大掃除。

どうなるかなんてわからない

手術でとった組織検査の結果、もともとのものはルミナールA ステージ1ということにだった。どこが違ったのかよくわからないが。そして偶発性にみつかった3ミリのもの(ステージ0)もあったので、同時多発性乳がんということになった。

 

いろいろな方のブログを読んでいて、ルミナールA ステージ2aの方が、術後1年後(放射線治療済+ホルモン剤服用中)で、再発し、ルミナールとトリネガだったという方がいらして、トリネガの方が肺、肝臓、骨に転移していて痛くてほぼその1年後に亡くなったとのこと。

 

こういう流れもあるのだなあ、と思った。再発なり、新しくまたできたりするだろうと思っていたけれど、それはまあ早くて3年後くらいかなと思ったのだが、全然もっと早いケースもあるのだということを知り、ちゃくちゃくと片付けをしていかねばと思った。生きていくとしても片付いていた方がいいので。

 

稽古場もどうなるか、わからない。私だけの気持ちでどうなるものでもないからだ。

こうなってくると、死んでしまったときに私の遺産を、ということも考えられるなと思った。でも、今動く必要はないな、と思った。もし、先が見えてしまったら、そのときはそうすることも考えよう。

 

今は日々、できることをするしかないのだ。

 

ちょっと考えたけど、何かすごく心残りとかあるかな、と思ったら、あんまりないと思った。両親も師匠もいなくなって、なんとなく、呼ばれそうな気もしなくもなく、、、

2,3日前に一度48.4kgくらいになったけれど、結局パジャマを着て47.9㎏とかにすぐ戻ったので、だいたいこのくらいの体重なのだ。少しずつ減っている。とはいっても1年で2㎏くらい。卵巣嚢腫のあたりでは44kgくらいになっていたこともあるので、まだまだ。

動き始める予感

今日は納骨だった。

9:30に墓地下へ。

カオタンラーメンは、びっくりするほど昔の感じだった。

その角をあがっていく。右に曲がって、そこは立派なお墓だった。

四十九日より早く納骨か、、、と思った。両親の納骨のことを思い出した。

骨壺が思いのほか重かったこと、叔母が涙ぐんでいたこと、とても寒かったこと。

茨城のお墓とはちょっと違うけれど、お線香をあげたり、お花をあげたりした。

なんか、不思議だった。

その後、全然夢にあらわれてくれない。きっと、天国でいろいろな人とお酒を酌み交わして楽しくしていらっしゃるのだろうと思う。

 

午後は普通にいつもの稽古。先輩が先週に引き続きいらしてくださった。

あんなに習いたかったのに、できないのが嫌で逃げたくなる気持ちがあり、あきれたというかなんというか。

とはいえ、一時期よりも充実した稽古ができている。

こうやって、稽古を続けていきたいのではあるが、いろいろなことがあり、いろいろ動き出すか、という感じだ。今日の納骨を一つの区切りとして。

いろいろあるのに、稽古の後はいつも通りで、今日はクリームシチューを作った。あと、マグロのカマを焼いた(食べきれずに持って帰った)。

 

明日はまた話し合いがある。

少しずつ動き出すのだろう。

そしてみんな自分の思うことをいろいろ言うのだろう。

私もそうしそうになったが、まずは皆でいいと思う方に、なんとなく進むだろうから、そのときどきで何ができるかをそーっとみようとおもう。

ある程度のことはもう決めてあるし、どうなるかは不思議ともう決まっていて、そのようになっていくのだ。

 

「晴天をつけ」もあと2回。これは面白かったので、年末のまとめはちゃんと見たい。麒麟が終わってからしばらくたつのだなあ、、としみじみするが、本当のドタバタの一年だった。気持ちがもたない、、、

 

日本沈没」は今日が最終回。

なんかバタバタしていて、途中、あまりゆっくり見れなかったので、あまり思い入れできなかった。なんかバタバタするドラマは苦手だ。

初 放射線科診察

今日ははじめての放射線科の受診だった。

病院の地下にいくと、センチネル生検をやった時の部屋のずっと奥に新しい部屋たちが広がっていた。

ちょうど先週、がん研の肺がんの先生が放射線治療の説明をしているNHKのテレビを見たので、何て大変な準備を丁寧にしているんだ!と思ったのだが、やはり手間がひとりひとりかかっているようで、スケジュールもパパっとは決まらないようです。

 

予想だと12月中旬から1月中旬、、、ということで、まあそのとおりなのですが、12月17日と1月20日にはずせない仕事が入ってしまったので、それを避けるためにすごく相談をさせていただき、何とかなった!!という感じだった。

心配はあるかというとまああるのだけれど、どちらかというと、仕事量を減らしたいな、という気持ちが強い。

仕事と治療の両立、というのは、まだ仕事をしてキャリアを積んでいきたい年齢の時か、家族を養う必要がある人がやるのだと思うのだが、私の場合は、どちらかというともう身体と気持ちが疲弊してしまっているので、ゆっくりさせてください、という気持ちだ。

 

いずれにせよ、12月10日CT、17日初回放射線治療、12月31日~1月3日はお休み、1月18日まで治療、ということになった。決まってよかった。

スケジュールが決まってこないのがストレスなのです。

 

病院から帰ってきて、新宿でランチをして、在宅で仕事をしたが、気圧もあり、とにかくだるくてだるくてたまらなかった。

 

※ちなみに、体重はまたちょっとだけ減って、パジャマで47.7kg

 何やらおなかが痛いこともある。実はおなかのどこかが悪いような気もする。

 

 

楽しいこと?

今朝、8:00すぎに起きる時に、心臓が痛かった。この痛みははじめて。キューという感じ?圧迫とは違う?どちらかというとチク?5分もせずなおったが、一時は立てないなーと思った。

 

たぶん、何かいろいろストレスなのだと思う。

師匠のこと、お別れ会、演武会。

仕事は量は減らしているが、治療スケジュールが決まり切らないのでもやっとする。どのくらい具合が悪くなるのかわからないのでもやっとする。

そもそも、8,9月は検査続き、10月入院して退院、ゆっくりする間もなく11月は怒涛。講座も大変だったが、もう忘れてしまったくらいだ。

昨日、鬼平さんが亡くなったと聞いて悲しいが、それはさすがに関係ないだろう。

ここ数日、朝にいきなり起こされて絆創膏をはるのだが、いきなり起きるのがキツイ。

家の床にいろいろものがおいてあるのもしっくりこない。

冷蔵庫にいろいろ予定外の野菜とかその他いろいろあるのがなんかいやだ。

 

体重は入院前にがん研ではかったとき、47.5kgと言われてびっくりして、入院時は48kgくらい。その後、割と日々計っていて、今朝はパジャマで48.1kg。47.9~48.5を行き来している感じ。ここ1か月でふたりくらいからやせた?と聞かれた。年明けは体重計にのって49.5kgくらいだったので、ほんのちょっとやせたことはやせたかも。

 

何か、楽しいこと、、、何が楽しいかな。

年末年始にいつも福袋を買いに行くのが楽しみだったのだが、今年は白血球が少なくなる予定だし、オミクロン株とかいうのも出てきているから、家にこもろうと思っている。となると、、と思って、福袋を予約しまくった。これはまあこれで楽しい。お洋服はバーゲンで買おう。このくらいかな。でも物が増えると、イラっとするので、色々捨てまくればいいのかな。

そうだ、何か捨てまくったら、このイライラも減るかも!と今だんだん思って来た。そうしよう。

7月~11月の検査、治療まとめ

なんか気持ちが休まらないので、今までの検査等、まとめてみました。

結構何度も病院に行っているなあ、、、

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7月14日(水)渋谷区 乳がん、子宮がん検診

8月11日(水)検査結果届く 要精密検査

8月13日(金)ピンクリボンブレストケアクリニック 精密検査 マンモグラフィ、超音波

8月23日(月)ピンクリボンブレストケアクリニック 生検

8月28日(土)渋谷区 大腸、肺がん検診 胃がんバリウムでNG
 ピンクリボンブレストケアクリニック 整検結果 悪性 6ミリ? ステージ1

8月31日(火)がん研有明病院 マンモ、胸部レントゲン、負荷つき心電図(new)、尿検査、血液検査、超音波

9月7日(火)がん研有明病院 生検結果 右乳房上部 ルミナールb her2陰性 7~8ミリ肺機能等

9月9日(木)がん研有明病院 MRI、手術説明

9月16日(木)がん研有明病院 診察、追加超音波
9月17日(金)がん研有明病院 組織を針でとる(超音波)

9月28日(火)がん研有明病院 追加超音波検査結果 手術は予定通り部分切除+センチネル生検

10月11日(月)がん研有明病院 コロナ抗原検査
10月12日~16日 入院 13日手術

10月28日(木)がん研有明病院 術後1回目診察

11月25日(木)がん研有明病院 生検結果、今後の治療方針
「ルミナールA」になっていたが、もうひとつ3ミリ程度の乳がんがみつかり、
同時多発性乳がんの診断となる。

12月6日(月)放射線

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いつもどおりの稽古

11月27日(土)の朝稽古は、ひさしぶりに普通通り。

28日(日)の稽古は、何十年ぶりかの先輩が薙刀の稽古をするということで稽古にいらした。後輩と制定形の稽古をしていて、ずっと稽古していなくてもできるのはすごいなあ、と思った。

9人くらい稽古人がいたのも、ひさしぶりだが、稽古している感じでよかった。

長野から野菜が届いたので、大根を煮て、大根サラダも作った。いただきものの餃子も食べた。

ふつうに稽古をできることの幸せさ。

なかなか稽古会で教えてもらったような引き落とし打ちの仕方はできないのだけれど、いろいろやってみようと思ったり。

いろいろな意味で、普通に稽古をして、普通にご飯を食べたり、飲んだりすることは、とても幸せなのだと思う。やっている最中は、面倒くさかったり、ちょっといやだったりすることも結構あるのだけれど。

しばらく買いていなかった、道場の予定を大きめの紙にかいて、壁にはった。いつもやっていたことは、いつも通り、古いやり方でもやってみるとほっとする。あんなにやっていたのに忘れていることもあったりする。

この後放射線治療を受けたり、ホルモン治療をスタートすると、今ほど元気に稽古はできないかもしれないが、稽古を続けると、調子悪いのが少しはどうにかなるかと思い、しんどくても続けようと思う。審査も受かる気がしないが、それでもやり続けようと思う。(本心ではもしかしたらと少し思ってしまったりするが、そうはいかんということもよくよくわかっている)

道場から帰って、大河ドラマを見て、お風呂に入って、日曜劇場を見て、寝る、そんな日曜が、ずっと続くのでいいのだと思う。いつもドタバタに見えるが、そういうのが実は幸せなのだと思う。青い鳥の話のように。

 

なぜ人は、もっともっとと思うのだろう。もうこうなってくると、もっとこうしたい、という以前に、「いつものふつう」を維持することがまあ大変だ。できることをせっせとやるしかないので、できる限りはやっていこうと思う。

 

※野菜がすごく届いたので、野沢菜に似た野菜は持って帰って、漬物に。その他、もろもろ冷蔵庫につっこんであったので、持って帰って料理してもっていくことにした。これも面倒だったりするのだが、やらずにはいられない。