毎日が本番

ライフログ

いつもどおりの稽古

11月27日(土)の朝稽古は、ひさしぶりに普通通り。

28日(日)の稽古は、何十年ぶりかの先輩が薙刀の稽古をするということで稽古にいらした。後輩と制定形の稽古をしていて、ずっと稽古していなくてもできるのはすごいなあ、と思った。

9人くらい稽古人がいたのも、ひさしぶりだが、稽古している感じでよかった。

長野から野菜が届いたので、大根を煮て、大根サラダも作った。いただきものの餃子も食べた。

ふつうに稽古をできることの幸せさ。

なかなか稽古会で教えてもらったような引き落とし打ちの仕方はできないのだけれど、いろいろやってみようと思ったり。

いろいろな意味で、普通に稽古をして、普通にご飯を食べたり、飲んだりすることは、とても幸せなのだと思う。やっている最中は、面倒くさかったり、ちょっといやだったりすることも結構あるのだけれど。

しばらく買いていなかった、道場の予定を大きめの紙にかいて、壁にはった。いつもやっていたことは、いつも通り、古いやり方でもやってみるとほっとする。あんなにやっていたのに忘れていることもあったりする。

この後放射線治療を受けたり、ホルモン治療をスタートすると、今ほど元気に稽古はできないかもしれないが、稽古を続けると、調子悪いのが少しはどうにかなるかと思い、しんどくても続けようと思う。審査も受かる気がしないが、それでもやり続けようと思う。(本心ではもしかしたらと少し思ってしまったりするが、そうはいかんということもよくよくわかっている)

道場から帰って、大河ドラマを見て、お風呂に入って、日曜劇場を見て、寝る、そんな日曜が、ずっと続くのでいいのだと思う。いつもドタバタに見えるが、そういうのが実は幸せなのだと思う。青い鳥の話のように。

 

なぜ人は、もっともっとと思うのだろう。もうこうなってくると、もっとこうしたい、という以前に、「いつものふつう」を維持することがまあ大変だ。できることをせっせとやるしかないので、できる限りはやっていこうと思う。

 

※野菜がすごく届いたので、野沢菜に似た野菜は持って帰って、漬物に。その他、もろもろ冷蔵庫につっこんであったので、持って帰って料理してもっていくことにした。これも面倒だったりするのだが、やらずにはいられない。