毎日が本番

ライフログ

顔を見に行く

本当は、明日木曜日は顔を見に行く予定だった。

が、事情で行けなくなった。

昨年9月に会いに行ったきりだ。

 

母が亡くなる前の頃のブログを読んだ。

毎日毎日、なにかしらか食べ物をもっていって、食べられない日もあったが

もうだめだと思っても食べれるときもあり、

亡くなる寸前まで、リンゴジュースやキャラメルをひとかけとか、

何とか食べてくれていたことを思い出した。

病院の食事提供がなくなったとしても、それを続けていた。

肺に水が溜まって、おぼれている状態のようだったと言われたことを思い出した。

それでも、毎日私がいくと、にっこりして、一口かけらを食べてくれていたことを思い出した。

 

それは、家族でないとやってはいけないことなのでしょうか。

 

コロナ禍で、いろいろな人がいろいろなレベルで無念に思っていることは重々理解している。

 

それでも、何かを食べてもらうことに関しては、私はかなり密接なかかわりを持っていたと思うので、(というか、食べ物がなぜか絆な気さえする)なんとか試してみたいと思ってしまった。

 

もし、それができなくても、万が一話ができなくても、感触や、気配や、そういうことで何か伝わると信じている。

 

そういうかかわりができる、数少ない人で、そういうことがわかる人もほとんどいない中で、どうにかなんとか会うことはできないかと思う。

 

そう思う一方で、どこかでそういう気持ちが昇華してしまっていて、どうなろうとも、私の中の記憶とかイメージの中にできあがっている気もする。

 

不思議な感覚だ。

 

それでもなんとか、どうにか、会いに行きたいので、神様どうかお願いします