毎日が本番

ライフログ

MITORI

日中にご家族から電話があり、18:30~緊急の話し合いとなった。

 

少し遅れて話し合いに参加した。

 

あのときああすれば

たらればはやめよう

先のことをかんがえていこう

 

みたいな会話がなされていた。

心を冷たい風が吹いた。

 

話し合いの前に、自分の気持ちがわからないことは珍しい、という話を会社でした。

今でもわからない。

できる限りのことはしたいともちろん思うが、定年後の暮らしがままならなくなっては困るとも思う。

とはいえ、なんとかなりそうなところをセーブしすぎるのもどうかと思う。それで後悔することにはなりたくない。

 

私の杖の遣い方とか、私のいいところを、わかってくれる人がもういないように感じるので、だったらこのまま続けていけるのか、と悩む日々。私のいいところをのばすような教え方をしてくれる人がいなくて、どうやっていけばいいのかわからない。ダメなところばかり気になる。そもそも、この体力とこの身体では難しいのでは、と思う。

感触とか感覚とかは悪くないと思っていたけれど、それが意味があると思っている人がほぼいない中でそれを追求するのはつらいことだ。まるで、マウイ島で本当の日本はこれだ、みたいな話になったときのような気持ちだ。

そんな悩みを話してみたくもなってしまった。

 

喪失感はもう味わいたくない。

その予感を感じることさえつらい。

 

そして、

こういう気持ちがつらいけれど、勝っていかなくては

みたいな話を昨日聞いて、

いや、もう、そんなの、、、(私の両親のときのことを思うと、、、)とちょっと思ってしまった。

人はそれぞれ、誰しも、自分が一番大変で、自分が一番忙しいのだ。

 

もう、いろいろなことは決まっているのだと思う

じーっと、カフカの嵐が過ぎ去るのを待つように

真摯にできることをできるだけやって、待つしかないのだろう。

じたばたしてしまうだろうが、、、。

 

ハワイからかえってきて、どうしようもないアウトローな私をどれだけ救っていただいたか、ということを思うと、感謝でしかない。

どんな状態になっても、やり続けていた姿は尊敬でしかない。

他にそんなことできるひとなんていない。