毎日が本番

ライフログ

生存確認の連鎖

不思議な一日だった

 

午前中、大学時代に世話になった先生の事務所に訪問。

かなりのご高齢で、多少よろめいていらしたが、お元気にお仕事の話しをなさっているのを見て、お顔を見ることは大切だと思った。

 

夕方、LINE電話がきた。

私がLINEに気づかないので、コロナでどうかしちゃったかと思った、とのこと。

電話をくれてよかった。ちょうど、会いに行くべき人がいたのでどうしようかと思っていたところだったので、その話もできた。

ずっともやもやしたことを晴らすきっかけになりそうでよかった。

 

そして、その内容は、ある人に連絡がとれないので、連絡がとれる連絡先を知っているかとのこと。これがきっかけで、また別の友人ふたりとひさしぶりにFBのチャットで会話できて、またごはんにいこうなどと話せて、よかった。

何もなくても話しかけてね、と言われて、何とありがたきことかと思った。

そして、その連絡が取れない人は、友人のおかげで電話することができて、ひさしぶりに話すことができて、ある意味全然変わってなくて、なんか笑ってしまった。

これは、ネタで、生存確認するためでしたね、と笑って話した。面倒くさいな、と思っていることも、こういう何かの不思議なきっかけで、ああ、よかった、と思えることはすごいことだと思った。

 

毎日毎日、どちらかというと人と話すのが苦痛で(話すときにすごく気を遣ってにっこりしてしまうから)ひとりで布団にくるまっていたりしたいのだが、、、

昨年、会うこともままならないまま、亡くなったお世話になった方が3人もいたので、こういうナゾのきっかけは大事にしたいと思った。

 

そして、ちょっとだけ、こんなにかさなって、自分が死んでしまうのかも、、とも思ったりもした。

両親が亡くなってからというもの、わりと高頻度で、もう特に何も未練的なものないというか、そういうふうに思うこともあったので。

というか、誰かが亡くなることを知ったり、誰かが病気になって亡くなることがわかったりするのがもう悲しすぎるので、それだったら自分が先に死んでしまう方がいいかも位に思っていた毎日なので。(この気持ちが大きく変わるわけではないが、、、)

 

コロナとかがあると、特に、会える時に人には会うのがよいのだろう、と思う。

ふつうに、会いたいなーと思って、会って、笑って、それが続く日々はとても幸せで豊かな人生なのかも。

突然の連絡にニコニコ応えてくれる友人や知人に大感謝です。