毎日が本番

ライフログ

実家4日目 大晦日

伊勢丹に三笠会館のおせちを取りに行った。

ここ9年継続して来た年末のスキヤキ会は欠席。
自宅で両親と三人で天ぷらとそばを食べた。
なんと父は政治関連のTVにチャンネルを変えてしまったので、早々に退散して姪っ子の部屋でひとり紅白にした。
年に一度くらいしか、こんなにテレビを見ないので、これはこれで貴重な時間なのだ。
あまちゃんスペシャルで、潮騒のメモリーを聞いて号泣。キョンキョンが出て嬉しくて仕方なかった。嬉しそうに見えて、嬉しかった。そして、薬師丸ひろ子がまた圧巻だった。まさに私の時代の方々で嬉しかった。懐かしい、実家暮らしで大変だったことや、それからずっと走り続けて来た緊張の糸がきれたのか、ひいひい泣いたしまった。一年、よく頑張った、よく頑張ったと自分に言い続けた。
いっぱい我慢した。たいしたことないふりをいっぱいした。いつも前向きに強い自分で有り続けているふりをした。
ほんとうはいつもいつも面倒だと思ってばかりいた。人と口を聞くのが嫌だった。そんなことどうでもいいといつも思っていた。
そんなことより、自分の食べたいものをゆっくり食べて、寝たかった。
メールも電話も面倒だった。ニッコリするのもみんな英業だった。誰とも一緒にいなくてよかった。ひとりでゆっくりしたいだけだった。

一年、本当によく頑張った。立場上やらなくてはいけないことが多いようだが、10年前の居場所さえない私に比べたら、それを培ってきたというのも何か意味があるのだろう。
私はあといったい何年生きるのだろう。老いていく人を見るにつけ、自分もいつかはわけわからなくなるんだろうな、と思う。それ以前に病気や事故で死ぬかもしれないし。
だから、今、毎日が本番で生きていくしかない。そして、もう少しマイペースにしていきたい。
いつも思うのは、
明日死んでもそれはそれ、
ということ。

大滝詠一さんが、昨日亡くなった。
ご自宅でりんごを食べていて、とのことだが、解離性動脈瘤だとのこと。
信じられなかったが、そういう時代なのか。

ロングバケーションは、友達がみんな持っていた。ノートに詩をうつして、語り合う友達がいたが私はイマイチわからなかったような気がする。

キョンキョンのように素敵に、薬師丸ひろ子のように突き抜けて生きて、大滝詠一のように、リンゴのような好きな物を食べながらぽっくりいけるといいな、と思った。