毎日が本番

ライフログ

クレーム?

昨日は思いもかけずたなをつくってもらって助かった。もう組み立てものはやめよう。あとひとつあるが。

六義園のライトアップはよかった。これから文京区に戻る気持ちだ。

 

それにしても今日の直会はひどかった。

パエリアを作ると言ってたのにすごく食材が来て、さらにおにぎりの安売りがたくさん届いた。

1時からの稽古、どうせまたできない、どうせ変だとばかり思っていた。太刀を持って下がってしまった時、すかさず、私が太刀もつと稽古にならないからと逃げるようにその場から去ろうとした。

そして直会では、聖護院大根と白菜を土鍋で出汁で煮て、平行してほうれん草をゆでてツナとともにあえた。

大根は本当に沸騰してたのを止めたときは誰も気づかず、沸騰してるよ、とかいわれ、その後味を染ませるためにおいておいたらまだできないのかと言われる始末。

ほうれん草を出して写真はとか言われた時にもう面倒くさくて、ニッコリしながら手一杯で今日はやめるということをいったらクレーム言われたと言われた。

ああ、言われたことは素直にという言い方のもと、完全服従しないといけないのだと感じた。

素直にというのは、本来的な意味の素直ではなく、口答えをしないという意味なのだ。

稽古のときも、後輩に何一つ教えようとしたり何か言うのは本当にやめなくては。私の言い方が気に入らないのだ。昨日もすごく感じた。女性は基本的な力がなくてできないからそれを伝えようと思ったのだがそれもだめなのだ。

 

やることいっぱいでつぶれてしまいそうだ。

 

最近キツ言い方をすると後輩が言っていたのがせめてもの救いだ。

師走

いつの間にか、12月だ。

昨日、手続きをして、引越の後の目処もたった。

引越先の手続完了から10日だ。すごいスピード。

少しもう少し検討したほうがよかったかなという気持ちは残るものの、検討工数などを考慮するとこれで良かったと思う。

昨年の今頃も同じような悩みと愚痴をここに書いていた。今年はますますしんどくなり、ついに邪気を出していると言われる始末。まだまだ人間なので本音も出てしまうというものだ。

今週は、やっとひとりで音なくねれて嬉しいのだが、意外と起きてしまってこれは更年期から老齢になってきたからと思った。でもまあ両親はよく寝ていたので気にしない方が良い。

洗濯の量も少なく、食事の支度やかたづけも楽だ。仕事も好きなだけできる。前より耐久力は減ったが。 

床のススの正体がわからないのだが、排水口はキレイなままなのでやっぱりタンとかだったのかなと思う。一度シテキしたら否定していたが。ゴミのこともそうだし、洗い物の下準備もそうだし、とにかく指摘をしてはいけないのだ。そしてありがとうと言ってるからいいと思ってるんだ。ありがとうは別に言わなくてもいいから、汚くしないで、洗濯物置いとかないでと思う。

とにかく汚いのが嫌だったんだな。ゆかにものを置くのが、ゆるせなくて。あと、うるさい音。

 

どうかこのまま、ほぼひとりで広くホテルのようにきれいに暮らせますように。

引っ越し先の手続きひと段落

朝から駒込で手続き。

わりとすんなりいってよかった。

火災保険だけ忘れていたので夜に実施。

新居に行くのは木曜日になりそうだ。

帰りにunicoに立ち寄ってソファに座ってみたりする。

IKEAのよりも座り心地が良い感じがする。

カーテンも丈を切ったりできそうでよかった。

 

家に帰っていろいろ思う。

私がイライラしてしまうポイント

・裸足であるく

・体毛が落ちている

・床にものをおく

・机の上にものがある

・洗濯ものがやってもやってもでてきてカゴに入れずに外に出ている

これらを今度はなくしていきたい。

そもそも今の家ももともとはこういうのがなかったはずなのだが、何かとボリュームが増えたのでどんどんすてていきたいとおもう。

 

もっとそもそもを言うと、実家にいた高校生くらいのころから、とにかくものがない部屋にしていた(隠していたのだが)友達から私の部屋は生活感がないといわれたりもしたし、アメリカへいったときは母からよくここまで片付けていったねといわれた。

 

なので、もともとそういう住環境が好きなのだ。

なのでイライラするのがつのってきているのだ。

 

ただ、月島を去ったときや、ハワイを去った時に、ほぼ全てのものを捨てていろいろなくしたことがあったり、実家からほぼなにも取り出せずになくなってしまったことがややトラウマになっていて、捨てにくくなったここ数年だった。さらにコロナ禍で、ある程度のものを保管しておかないと何かあった時困るという気持ちが多すぎてアルコール除菌とかが大量にあるのだ。

化粧品類も、きっと使うからとまとめ買いなどしていたのでこうなった感じが強い。

 

誰かが亡くなったからとか、使わない?とか言われた家具やら食器やらが多すぎる。

お料理教室の時のリネンやらお盆やらもそうだ。これももうそろそろいいだろう。

 

というところをまた仕切り直しだ。

 

新居はスリッパをはいてほしい、といおうかな、と思ったが、自分の快適さしか考えない人だからあきらめよう。その代わり、すごい勢いで床をふくようにしよう。毎日毎日。

いろいろなあきらめがすごい。できるできるいってやってもらっても、結局できないこともわかった。結局やってなんぼだし、それも継続的にやってこそだ、とすごく思う。

 

今度こそ、自分が好きなものや音に囲まれてくらしたい。

テレビもおきたくない。うるさくて耳がつらすぎる。

明確になった

演武会からかえってきて

大御所がきたことにたいして

「よくやったよね」

とほめてもらうことをまずは強く言われた

 

ここで明確になった。そしてすーと気持ちが引いていった感じがした

 

自分のことばかりと思ってきたのがやはりそうだったことが明確になった

 

よく考えたところ、人は皆承認欲求が強く

それがあからさまに出ただけだ。

 

その後も、大御所に段取り等指摘されたとかなんとかいうので

すべてあやまっておいた。

 

そもそも、なんでも自分がいわれてささっとやるのを繰り返してきたのをどうにか変えたいと思ってきたのだが、それが無理だったことがわかったので

今後はもうひきとっていくことにかえようとおもう。

 

そのほうがすっきりだ。

 

 

 

 

引越準備

11月末くらいに引っ越し先が用意できて、半年くらいかけて引越予定。

 

今より少し広いが、今より少し天井が低い。

 

大好きな代々木は、いろいろ取り壊されたり、いろいろ変わってきていて、住みにくさをここ半年くらい感じている。実家もなくなり、道場もなくなり。会社も代々木原宿近辺からいよいよ来年半ばに引っ越す。

 

今回は、引っ越すことで、毎日気になる雑多なものとかホコリとか洗濯とか掃除とかそういうことをすっきりさせたいな、というのが今の楽しみだ。

今までの引っ越しはわーといいながらあるものすべてを移動させているだけになってしまっていたが、今回は時間をとって、ゆっくりと好きな部屋をつくっていく予定。

 

父に貸していたジャケットとか、そういうもので古いものはこのタイミングで写真を撮って、ありがとうをいって、すてていこうと思う。ここにその記録をとっていこうかとおもう。

いろいろなあきらめ

昨日は夜の稽古に参加した。

夜の稽古に参加すると、その間に処理するメールがたまって、結局昨日は皆が宴会している横でメール処理をしていた。

そしたら、焼きそばの写真を取れといわれた。。。。

そして今日はその写真を送れと、、、

 

あのときからいろいろ考えたが

結局、「自分をどれだけよく扱ってくれるか」が基準値で

だから「邪気を出した」ということになるのだ。

人をその人としてどう思うか、とかそういうことではなくて、

自分がどれだけよく扱われるかだけなのだ。

そういえば以前も、「便利だと思ってるでしょ」と言い放ったことがあったが、結局そうなのだ。今頃改めて気づくなよ。

それでも私は邪気のないふりをする。すごく下に見ていたとしても。

それはなぜかというと、邪気を出したとかなんだとかいろいろいわれるのが苦痛でたまらんからだ。

その他の洗濯しなくてはとかそういうことよりもっともっと苦痛だからだ。

馬鹿なのかと思うが、食事の回数をへらしゃあいいとおもって。食事は食材があまるからかえって回数が急にへると食材マネジメントが面倒だ。おかげでoisixはもうほぼ解約に近い。

ちょっとでも部屋が汚れることが今はもっとも嫌な気持ちになる。

 

とにかく、私の周りの人はみな私にいうと楽だし、何でもちゃちゃっとやるし、忘れないからどんどん作業が増えるのだ。ぼけてしまったら、たのまなくなるだろう。

 

認識していなかったがインパクトあり

日曜の朝か?「イライラする気もちわかるよ」といわれ、なんだ??と思ったが、

皿洗いをやってくれるといわれたので下準備をして下準備だといったところ「嫌味だ」といわれた。週末に今まで言わなかったレベルで指摘をした、といわれて、全然気が付かなかった。

また、すごい顔をしてにらんでいた、うちで何もしないから言われてあたりまえ、みたいなことも言われたが、いったいいつにらんでいたか、全く記憶がなかった。

すみません、記憶なしといったところ、本心だからだよ、といわれた。

 

そりゃまあそうだ、と思ったが、これは心にインパクトあり、あまり眠れなかった。

以前2回くらい、もう一緒にいたくないとかなんとかいわれたり、熱中症になった日の前の日とかに文句言われたり、「あーこういうのはダメだ」と発言に気を付けるようにしてきたが、顔つきとかそういうのでも駄目だったのだ。

お愛の方のように、無理ににこにこしなくては。そこまでやる必要あるのか、とも思うのだが、今はそうしておいてストレス減らさないと、いろいろ言われたりする方がストレスだ。うまくやっているつもりだったのだが、まだまだ足りんということだ。ああ、まいった。