毎日が本番

ライフログ

ノルウェイの森

「絶対読んだ方がいいよ」
と言ったのは、予備校時代からのとても信頼している友人だった。
だから、それまでは、ミーハーな色に見えた赤と緑の表紙の本を、話題になってから1年近く経っていたけれど、読むことにしたのだった。

強烈だった。
吸い込まれていくように、赤い本を、夜中の3時頃に読み終えた。
直子にシンクロしてしまったような感覚?
うまく表現できないけれど、このまま緑の本まで読みきってしまったら、森の奥に吸い込まれて、帰ってこれなくなる、と思った。
緑の本を開けるのが、少しこわくて、遠くに置いたまま、私の中ではワタナベくんと、直子のものがたりが、勝手に進行していった。
具体的なストーリーは思い出せない、というか、その当時でさえなかったのだけれど、ふたりが、初冬の四ツ谷の土手を、ひたすら散歩するシーンが、何をしていても私を支配していた。

何日経ってからだろう。ついに、緑の本を読んだ。
私の中で育っていた、そのものがたりの後編とは、違うストーリーが展開していた。
それは、「生につながるものがたり」だった。「生」の象徴である、緑と、これから生きて行くストーリー。

直子と、いろいろなものを背負いながらも、なんとか生きて行く、というものがたりが私の中で歩き出していたところに、
この、緑の本のストーリーは、ちょっと残酷だった。

「死は、生のすぐ隣にいる」

直子が森の中を彷徨っているような、行き所のなさをずっとかかえたまま、何年か経った。

ひさしぶりに、赤と緑の本を手にとった。その時は、「緑と一緒に生きて行く強さが出てよかった」と思った。
「何かあっても、前を向いて、明るく生きて行くことが、人間必要だ」と思った。



そして、それからまた何年か経った3月、道場に、フランス人と日本人数名が見学に来た。
「またお客さんだ!つまみを作らなくちゃ!材料はあるかな。。。」と、お料理のことで頭がいっぱいだった私は、
中二階に松山ケンイチがいたことに全く気づかず、たぶんマーボーナスか何かを作った。
結局、松山ケンイチらは、つまみを食べずに去っていったけれど。

後で、そのフランス人は道場の先輩の知人であり、映画監督であること、そして、彼の作品である「ノルウェイの森」が、今年の年末に公開されること、道場には、その次の作品の関係で来たらしいことを知った。


今でも、なぜか、私の中では、ワタナベくんと直子は、四ツ谷の土手をえんえんと散歩している。
映像であのものがたりを見るのが、怖いような、でも、絶対見たいような。
今の私は、はじめて赤い本を読んだときに近い気持ちかもしれない。


「生と死は対極ではなく、となりにある」


このものがたりは、私の中で、何年もかけて、醸成してきたような気がする。

あらためて、読み直してみよう。
あの頃と違うように感じたり、あるいは、同じように感じたりするのだろうか。