今日でパラリンピックも閉会。
マラソンでは、視覚障害の60代の女性が完走して入賞していた。
パラリンピックはあまり見たことがなかったが、すごかった。オリンピックより驚くことがすごく多かった。
私がたとえば、乳がんで胸をとったとしても少し減ったとしても、そんなことは全然くらべものにならない。このタイミングでパラリンピックを見れてよかった。
閉会式は、オリンピックの開会式閉会式より素晴らしく、ミライトワとソメイティもやっと出れて、じっくり見てしまった。
東京招致が決まった時から、というか、その前からずっとオリンピックには注目していて、チケット取れなくて残念に思っていたが、結局無観客となり、何とも言えない気持ちではあるが、オリンピックが近くで開催されていることを少しだけ感じた、少し前向きになる1か月だった。
いろいろなことがあった。エンブレムのデザイン問題。いろいろな方が途中で交代していった。国立競技場も作り直して。
パラリンピック閉会式は、多様性や、いろんなことがありえると思えるものだった。このいろいろな時代や価値観の交代を象徴するものだと感じた。
一方、何かハンディキャップがあったとしても、心の持ちようによって、幸せであったり、人に感動を与えることができるのだということがすごくわかった。
いろいろネガティブに思うこと多いのだが、前向きな気持ち明るい気持ちでどうにかなるだろうと思える気持ちをくれた、パラリンピックだった。
父が言ってくれていたことを思い出す。
この子は明るいところがいいところだから。
私ってあかるいんだ、とおもった。明るいんだ。
がんばりすぎなくていいよ、と母にも父にも言われた。
がんばりすぎないようにしよう。
昨日、生検の最終報告がとどいた。今回は開かずに、火曜日に診察なのでもっていく。
どうなることかわからないが、いい具合に使わせてもらうくらいにしよう。
私がつらいことが、伝わらないから。
※いつから私はひとりで大丈夫、と思ったか、思い出せなくて、ブログを読んだところ、2014年の1月に、もしかしたら気づいたのかも、と思った。
ふと、これが本当の終わりか、と思ったとのこと。これかもしれない。