毎日が本番

ライフログ

話を聞く係

10日の祝日は、クライアント役を中心に、サポートをしに行った。

そもそも、私はなぜキャリコンをあんなに急に目指したのだっけ?

 

浪人生の頃、一瞬、周りの友達が何を話したいのか、どうしてほしいのかわかるような気がした。そしてそれは結構確固たるものだった気がする。

その後、大学に入り、しばらくそのことは忘れていた。そして、4年生の時、後輩が話したいことやしてほしいことがわかり、そういえば浪人生のころもそんなことがあったなと思った。当時、1年生からいろいろなぜか悩み相談がきて、実は面倒だな、、、と思うことが結構あったように思う。一生懸命話は聞いていたものの、実はバイトにいかなくちゃいけなかったり、いろいろやりたいことがあって、当時電話でえんえんと話すのは結構大変だったなあと今は思う。

 

そして、就活をさらっとして、新卒入社して、結構今までと毛色の違った同期がいて、とまどいながら、テキサスへ行った。そのころは、プログラミングもわからないし、英語もわからないしで、人の話を聞くとか、そういうことはそれどころではない時代だった。

 

帰国して、一社目は別に、、という感じか。でも今思うと、ここは大変だったが楽しかった。

そしてネットの仕事をするようになって、かなり多くの人の話を聞く仕事になった。これはこれであっていたのだろう。

その後、ハワイへ行って、ここでまた文化や言葉が違うので途方に暮れて、、、、それで帰ってきたのだが、自分が枯渇しているあまり、人の話を聞く余裕がなく、自分はもうアウトローで取り残されて、どうしようもないと思い込んでいた。

 

そして道場に入って、今の仕事をして、15年ちょっと経って、ようやく落ち着いて今に至るのだが、話を聞くことは面接などでまた増えたといえば増えた。でも、前のように手に取るように何かわかる、ということは別にないか、、とも思う。前よりもしかしたらテクニカルにわかることも増えたかもしれないが。

 

そもそも、なぜキャリコンか。人よりちょっと得意で、人よりちょっと苦労しないでできてしまうこと、なのだろうか。でもそうでもない。苦労はする。うざくて仕方ない、と思うことの方が多い。しらーっととぼけて話を聞くのはテクニカルにできるようにはなったが。

今の仕事をやめたときに、一生続けられそうかな、と思ったことの一つだからだろうか。今となってはよくわからない。

とはいえ、先生に、「こういう引き出し方があるんだ、と参考になりました」とおっしゃっていただいて、うれしかったし、そうなんだーと思って、もしかして人の話を聞くのは意図せずできていることも多いかな、と思ったりもする。

あえて聞かないようにしていることがどんどん増えていくが。