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東京オリンピック閉会式

8月8日、東京オリンピック閉会式。

稽古の後、20:00~22:30までテレビで見た。

平行してツイッターで#閉会式 を見続けた。

 

やったからよかった悪かったという議論はおいておいて、

私個人の感想としては、オリンピック期間中、オリンピックのことを中心に応援したり、感動したりしていたので、とても楽しかった。

仕事ももちろんしていたが、ネットとテレビでずっと応援し続けていたので、外出も減ったし、そういう意味での感染症対策ができた感じ。近所ではあるが、国立競技場とか行きもしなかったし。あと1年だねーといっていた2019年頃に写真を撮っておけばよかった。実際は、神宮花火に行った時に撮っていたけど、ちらっとだけだったし。

 

選手のみなさんが、こんなに大勢閉会式までいらしたのにはちょっとびっくり。パリのオリンピックにはいってみたくなるだろうな、と思ったが、おそらくこれからも一生テレビやらネットやらで応援し続けるのだろうな、と思った。

私はオリンピックが結局かなり好きなんだな、というのはわかった。

 

いろいろな議論が出ていた。負けた方へのインタビューをすぐにはしないとか、いろいろ。多様性とかについてもいろいろ。私が興味があるのは、世の中の考えがいろいろ変わっているということについて。私が生まれたときは、今回の前の東京オリンピックが終わって割とすぐの頃で、まだ戦争が終わったことについての考えが強かった時期だ。

そのころから今までの時代の移り変わりは、情報化社会やインターネットとともにずっと仕事にたずさわってきた私にとっては、いつも一番新しいところに気持ちがあったつもりだった。7,8年前までは確実に。

ここ数年で、だいぶ自分の感覚というか、自然な気持ちは過去のものだな。X世代だな、と思うことが多くなったし、日本が遅れている、ということもここ2年くらいで明らかになった。大学生のころは、進んでいるアメリカに行って、最先端のものを取り入れたいと思っていて、ずっとそのためにがんばってきて、実際にもそうしてきていた気がする。

 

いつしか、一番新しいものが、一番よいとは限らないと思うようになった。稽古を続けていてそう思ったのか。それだけではない。自分が心地よく思うこと、お気楽でいられることとというのは、進んでいるとか、遅れているとか、そういうこととは別のことなんだと思うようになった。

自分がいいとか悪いとか思う気持ち、感動するとか、すごいなと思うとか、何だよ!と思うとかも、私個人の気持ちの話で、世論がどういうからとはまた別の話。それとはまた別に、世論がどういう反応を示しているかは興味はすごくある。

私が興味があるのは、選手の方ひとりひとりが、どういう生き方をしてきて、こういう結果になったのか、それをどう思っているか、というひとりひとりの歴史とか気持ちとかそういうことだ。それにいちいち感動したり、感心したりする。

それに対して、自分がいいな、と思ったり、これは自分とは違うかも、と思ったり。

 

コロナのことで、いろいろな人が何かにつけては悪い方向のことを言い合うことに疲弊していたので、オリンピックの間は、前向きな世論が多かったり、テレビもそういうメッセージが多くて、とても楽しかった。

オリパラの間で、早速またコロナの話になっている。東京は4000人とかすごい陽性者数で、これがオリンピックとどう関係あるかは「関係」をどうとらえるか、という話になってくるので、考え方次第だと思う(風がふけば桶屋がもうかる的な、、、)

誰がどういったから、政府がどういっているから、ということで、出歩く出歩かない、感染症対策をどうするか、の判断をするのではなく、自分自身が、結構今のデルタ株は思いもよらず感染している方がツイッター等見ていても多そうなので、今まで以上に気を付けようと思うだけだ。

どの程度気を付けたらかからないか、はもはやわからないし、ワクチン接種2回も済んでいるけれど、だからといって何かすごく変える気もないし、というのが私自身の考え方だ。

近しい人にお酒が好きな人とか、移動が多い人もいるけれど、それを遠ざけるほどに何か議論とかするかというと、それこそがストレスになりかねないから、やらないで自分の免疫力を高める工夫とか、自分が手洗い消毒をできる限りするととか、そういうふうにしていきたい。それで何かあったら、ああ、あれではダメだったのだね、、、と思うしかないかな、と。

 

コロナは人類に何を問うているのだろうね。