毎日が本番

ライフログ

お見舞いと高畑勲展

8月17日の土曜日は、朝稽古の後、師匠のところに行った。

今回は、先輩とふたりで行き、刺身(まだい、カンパチ、サーモン)と、桃と、ハーゲンダッツバニラ+カシスを持って行った。

松本の写真を見せたのだが、反応がいまいちだったので、やめて、稽古の話をしたら、はじめて師匠の師匠のお名前を発してびっくりした。その後「力じゃなくて」とおっしゃられて、またびっくりした。奥の稽古をもっとしたいのですが、、と相談していたらその話で本当にびっくりした。

でも、あまりにっこりとかはしなくて、テンションは低め。稽古の話だったからか。

翌日、ご家族からとても元気だったと聞いて、まあちょっと良かったなとは思ったのですが。

 

その後竹橋に移動して高畑勲展に行った。

先日からずっといろいろ検索したりして、私の幼少時代にすごく影響を与えてくれたのが、高畑勲さんだったと知って、全力で展示を見た。音声ガイドも中川大志さんだったので、うれしくて何度もリピートしてしまった。

そしてハイジの映像とか。あの頃、私があまりにハイジが好きなので、八ヶ岳の家を両親は買ってくれたのかな、と思ったりもした。終わったことを私のいいように解釈できるのは本当に幸せだ。また行ってみたい、八ヶ岳。でもちょっと思い出がありすぎて怖い気もする。

最近の高畑さんの作品は見ていなかったのだが、探求しすぎているというか、一般人には伝わらなさすぎるというか、で見ていなかったのかな、と思った。あらためて、どういうふうに考えてどう表現したのか、ひとつひとつ見ていきたいと思った。

本当に不思議なのだが、ハイジが好きで、フランダースの犬はそうでもなくて、マルコは好きで、という私の好みも、高畑さんのいろいろな意図や、その時々のアニメーターの方々のいろいろなことが重なり合ってのことだったのかなと今は思う。

 

あらためて、私というユーザーをここまではまらせた高畑さんとその周りの方のコミュニケーションの作り方に感銘した。私はコミュニケーションをデザインするというテーマで仕事をしているはずなのだが、そういう、ユーザーの「自分ごと化」を生じさせるコミュニケーションというものをちょっと忘れてしまっていたかなと思った。

売上とか利益とかにももちろん興味と責任があるので、そちらに偏りすぎた発言とか行動が多かったかもしれない。コミュニケーションデザインについて、あらためて考え直して、伝え方など変えてみたりしようと思う。

 

高畑さんは、おそらく頭もよすぎて、思慮深過ぎたためか、遅刻が多かったり、制作の遅延が多かったようです。私は遅刻はどうなのよ、、と思うタイプなのだが、もう少し寛容にしようか、、、と思ったが、どうかな、、、。

父は理屈っぽくて一久さんにそっくりだったが、時間は正確で、遅刻許さない感じだった。

 

展示会を出た時点で、ぐったりとして夜は寝込んでしまった。