毎日が本番

ライフログ

母のこと

明日は母の告別式。
今回も喪主挨拶があるので、あらためて、母のことを振り返ってみた。

母は、その時代には珍しい、働くお母さんで、女医で、そのことを誇りに思いつつも、主婦と仕事の両立を無理にしようとしていつもイライラしていたように思う。
正確には、だんだんイライラするようになっていったというか。

私の小学校の行事とかのPTA としての活動とか、いろいろなことにおそろしく一生懸命だった。

小さい頃から、ハグされた記憶がなく、あなたは一人で大丈夫だからとずっと言われて育った。

父が大好きだったので、その意にそぐわないことをするとすごくしかられた。また、働く母に手間をかけるとすごく叱られた。
しかし、私が父に叱られると、かばいはしないが、裏で慰めてくれた。というか、あなたも叱られたわね、オーラが出ていたので、とにかく父と関わる女は全て敵だったのかも。

母娘で出かけることもほぼなく、先ずは父が優先だった。

一般的な、おかあさーーん、という甘えをした記憶がない。それで、20代頃はアダルトチルドレンの処理に困ったものだった。

いつしか、家を出て、独立してから、そういう思いからは卒業できた。
母は母で、働くのに一生懸命で、一般的な愛情を示す余裕がなかったのと、父が好きすぎたのだろうと思う。

三年ほど前、怪我をして入院してから、認知がはじまり、状況が変わった。

怖くきびしい母ではなく、おっとりと、そしていろいろなことに恐れを抱いている母になった。

母は、仕事をする私に、頑張りすぎるなと言う。あんなに私は仕事があるから!と、いい続けて甘えるのを許さなかった母が。

私は、母に、仕事があるんだから、みたいなことは言わなかった。父には何回かいったかもしれないが、スケジュール調整のためで、昔母がいっていたのとはニュアンスが異なる。

やさしい?母になり、ありがとうとは絶体言わなかったのに何かにつけて言うようになったので、なるべく希望に沿うようにするようにしたような気がする。

7月20日に父が入院し、母も入院してからは、毎日お見舞いにいった。
毎日、何かお弁当的なものをもっていき、毎日、ありがとう。またね、といって行き来した。

父が亡くなったことは、とにかく伝えず、病気だとも伝えず、痛みもなく、苦しくもなく、なくなったことが、せめてもの救いだ。

夜中に叫んでいたのも、うまく忘れてきたので、母は、私にいい思い出を残してくれた。

何かの時はお母さん、とか、甘えた、とか、母の味、とかないのだけれど、私のごはんを喜んでくれて、ありがとうとニッコリしていたので、それだけでまあよかったな、と思う。

父と一緒になって、ホッとしたね。よかったね。

私の姉や兄は、産まれて来なかったので、産んでもらっただけで、大感謝だ。

ありがとうございました。