毎日が本番

ライフログ

腸閉塞疑惑。

※自分の治療の記録のために、当時のメモをもとに2010年6月に書きました。※

この日は、クライアントの接待のため、銀座のとんこつ鍋屋で20:00から宴会だった。クライアントが来るのが遅くて、20:30頃スタートしたような気がする。そして、席の場所が悪かった。座敷の一番奥で、トイレに行けなかった。
この年(2008年)の2月から5月はじめくらいまで、がっくり食欲がおちていたのだけれど(気分的に)、この頃はもう復活していて、とんこつ味スープの餃子やラーメンなどなど、モリモリ食べていた気がする。
ただ、3時間以上店にいたのに、クライアントに気をつかってトイレのために席をたたずにいたのがよくなかった。

しかも、おひらきになったのは終電ギリギリ。というわけで、帰り際にトイレに行くこともできず、おなかがパンパンだーと思いながらも、なんとか地下鉄に乗ろうと必死だった。しかも、代々木まで帰りが一緒の人がいたのだけど、銀座の駅でもうこりゃあ駄目だ、となり、「ちょっとトイレによってからかえりまーす」と言って、トイレに向かった。

そこからは朦朧としていて正確に思いだせないのだけれど、確か、下からも出して、上からも吐いた気がする。いや、このときは吐いてないか?
これですっきりするはずと思ったけれど、脂汗かいてる感じでつらすぎたので、知り合いにあわないようになんとか地下鉄にすべりこんだ。
そしたら、どんどん気持ち悪くなり、こりゃあ吐く、と思って、溜池山王の駅で降りた。
ちょうどその2年くらい前に、他の会社のインターン女子が吐くのにつきあったのとまったく同じトイレで、ゲロゲロ吐いて、泣きそうだった。苦しすぎて。そして、「女子は吐くまで飲むもんじゃない」と説教した私が同じ場所で吐いているのが悲しくて。

しかも、トイレまで間に合わなくて、鞄の中にも吐いた気がする。
その鞄の中には、稽古に出た日や、新しく技を習うとメモしていた大切な手帳が入っていたのだけれど、それを取り出すとか、そういう余裕もまったくなく、とにかく、駅に吐くと、みんなの迷惑と思って、さっき食べたばっかりのものたちを帆布でできた、わりと好きだった鞄の中に吐いた。

もともとお酒は量を飲めないし、道場以外ではお酒はあまり飲まないことにきめていたので、梅酒ソーダ割り1杯程度と、ウーロン茶しか飲んでいないのに、酔っぱらったはずもない。さすがによってるかどうかは自分でもわかる。
酔って吐いたこともないし、幼少期は乗り物酔いでよく吐いていたけれど、成人になってからというものほとんど吐いていなかったから、いったいこれはなんなんだろうとびっくりした。

以前、牡蠣にあたったことはあるけれど(このときは吐いたのかな?でもそんなひどくなかったな?)、その時とはまた様子が違う、何か他のものの食あたりかと思った。
当時、私は腸閉塞がなにものか、まったく知らなかったから。

どうしてこんなに吐けるのか、すごく不思議だった。
少し落ち着いたときには、当然地下鉄は終わっていたので、溜池山王の駅の外へ出た。たしか、噴水の近くの階段?にスーツだというのに座り込んで、先輩に電話をしておむかえヘルプをたのんだ。
ひとりじゃ帰る気になれなかったから。

へたりこんでいたら、隣に座っていた、それなりによさげな感じの若者男性が、お水をくれた。すごく助かった。どうもありがとう。
先輩がむかえにくるまで、近くにいてくれた気がしなくもないが、とにかく自分がゲロくさくて気持ち悪くていろいろ余裕がなかった。

そして、先輩がタクシーで迎えにきてくれて、どうしてもなぜか思いだせないのだけれど、当時裏原宿にあった事務所に何かをとりにいったか何かでよってもらって、それから家に送り届けてもらった。

かばんも、手帳も、まるごとすてた。

翌日は平気になっていて、ふつうに出社したけれど、いったいあれはなんだったのだろう。他の人は、食あたりした様子もまったくないので、そのまま忘れていた。というか、よくある飲みすぎでバカをした人生の汚点?とだけなった。

「腸閉塞だったのかも」
と思ったのは、直腸癌の診断が出てからだった。
症状のひとつとして言われている「腸閉塞」の内容そのものだったから。
いつも吐かない私が、吐く、ということ自体、異常なのだから、ちょっといつもと違う、と思ったら、気をつけなくてはいけないんだ、と今は思う。でも、その時気づくのは無理だったかも。

このときのことを忘れないように、二度と腸閉塞(しかももっと重症の)にならないための、記録です。
これを読んだ人で、もしも普段は吐かないのに、吐いてしまった、という人がいたら、要注意です!