ひさしぶりに、自由ケ丘で、Wさんに手相を見てもらった。
ケーキをひとり2個ずつ食べながら、近況を報告をしつつ、ついいろいろ
愚痴ったり相談したりすると、彼女は「さあねえ、、手を見ないとわから
ないよ」と言う。
そんなわけで、静かな場所へ移動し、今の私の手を見てもらうことにした。
Wさんは私の右手を斜め30度くらいから眺め、煩悩や邪念や弱気や見栄や
思い込みでいっぱいの私の心を少しずつ解きほぐすように、いろいろな
ヒントを与えてくれる。
私が彼女の占いが好きなのは、決めつけるようなことを言わないからだ。
身に覚えがありすぎること、逆にハッとするようなことも、もちろん
占い師らしく伝えてくれるのだが、それが私にとってどんな意味があるのか、
一緒に考えてくれるのがとても心地よい。
私が本来どういう人なのか、どう生きるべきなのか、それを思い出させて
くれるのだ。
はじめて彼女に手相を見てもらったのは、1年くらい前だろうか。
その時、生きるのが不安でたまらなかった私に、元気をくれたのは
彼女の占いだったことを、思い出した。
今も、自分を見失いそうになっている私に、また小さな勇気をくれた。
ちょっとだけ靄が晴れてきた私の右手は、日々、少しずつ、よい方向へ
変わっている気がする。落ち込んだりすると、また戻ってしまって
いる気もする。手相ってそんなものらしい。気のせいもあるだろうけれど。
そしてもう少し自信がもてたら、「ねえ、手相変わったでしょ」って
Wさんにまた見てもらおうって思っている。
【編集者のまたもや1行】
今本格的にドロップアウトしないと、人生を棒にふる。