生とか死とか常に意識している人は少ない。
だから、「死」を意識すると、態度が変わる。
私がいつもとほぼ変わらないのは、ここ7、8年、「死」と向き合って生きてきたからだ。
「生きること」に何を見出せばよいのかわからず、かといって、死を選ぶ理由もなく、ただ「1日を一生懸命過ごすこと」だけに注力してきた。それで精一杯だった。
あるときは、「今この10分を一生懸命すごそう」それの繰り返しでなんとか過ごしたこともあった。
「生きる」ことは、うれしさも、苦しさも、喜びも辛さも、いろいろな感情とともにいるということだ。
「生きる苦しみ」とともに過ごすのは辛いことだった。
それに比べれば、「死」と対峙することは、ただひたすら当たり前であった。
「生きたいか」「死にたいか」どちらでもない。
「生」への固執はない。「死」への憧れも恐れもない。
どちらにしても、あるがままを受け止めよう、それだけ思う。