9月の初めに思い立って始めた読書の秋。歴史小説を読もうかとも思ったが、
漢字が多すぎて断念し、文庫版の最近出版された小説を多量に読んだ。
調子のよい時は一日一冊程度のスピードでざくざくと読んだ。まあそれなりに
面白い作品が多く、おかげで夜眠れずに苦しむということはほとんどなく
なった。作品そのものよりも、amazon等に掲載されている読者の批評に興味
を持った。同じ作品について、もっと違う感想があってもよさそうなものだが、
結構似たような感想が多い。賛否両論にはわかれていたとしても、賛成派の
意見はほぼ同じだし、逆に否定派の意見もまた一つなのだ。
すごく気に入った小説について、否定派の意見が多いと、自分がその小説に
感動してしまったことが恥ずかしく思えたりもするのだが、それもまたおかし
な話で、大衆心理に左右されている自分に気づくこととなる。
また、なるほどこういう捉え方をする読者もいるのだなあと新たな発見をする
こともある。
私は、その小説が優れているかとか、そうでないかとかにはあまり興味がない。
小説と私の関係はとても個人的なもので、ちょっとしたシーンやエピソードの
中に自分の体験や感情と重なる部分があると、私は心を奪われる。
一度そのように心を奪われる作品に出会うと、その作者の作品を片端から読む
ようにしている。その作者と物事の捉え方に似た部分があるらしく、感銘を
受ける確立が多いのだ。
本屋に出向くと、ありとあらゆる本が、出ては消え出ては消えしているのが
わかる。そんな中で、自分と相性のよい本をみつけるのは楽しい作業だ。
表紙が気にいることもあれば、作者の名前が好みだったりすることもある。
タイトルがどうしても気にいらなくても、めくってみたら好きなフレーズが
並んでいるということもある。
実はちょっぴり読書にも飽きてきてしまったのだが、こう書いているうち、
また少し読んでみようかと思ってきた。気まぐれの秋。
【編集者の2行】
春にクリーニング屋に出したまま忘れていたボロいコートを今さら取りにいく
べきかどうか。