毎日が本番

ライフログ

世田谷線に乗って

朝稽古のあと、タリーズでお茶をしてから、世田谷線に乗って、先生のお宅へ伺った。

世田谷線に乗って行ったそのお宅は、先生そのものの雰囲気だった。
奥様と息子さんも、先生のいつもの様子を映し出したような方で、自然で、なんなんだろうこれは、と思ったくらいだ。
お骨と、写真と、いろいろな人から届いたであろうお花に囲まれていた先生にお線香をあげるのはとても不思議だった。
水曜日のひとり朝稽古ででもだいぶ泣いたのに、まだ信じられないのに、涙がじわじわずっとしていた。マスクの中側が鼻水でベトベトになった。

いつも9月になると話を聞いていたスペインの気功のセミナーの寫眞を見せていただいて、いまさらながら、先生の素晴らしさを知った。

各国の友人たちと食べて飲んで語り合ったであろうその姿は、師匠にそっくりだった。そっくりすぎてびっくりした。
私は先生のことを全然知らなかったと思った。10年以上、毎週水曜日と土曜日の朝に稽古をしていたというのに。師匠のインプットが強すぎたせいかもしれないけれど。
奥様がお別れ会で配ったというお手紙を呼んで、また号泣してしまった。
私はまだまだ全然何もできていないし、私より何かがちょっと苦手かもしれない人のことをあれこれ言ったり思ったりするなんて、とんでもない小物と思った。

先生もイラッとしたりすることも当然あったけど、それを笑いにいつもしていたし、ストレスがかかりそうなところへは、あえて行かないようにしたりしていたのかもと思い出したりした。

私は天蓋が空いてるから、いろんな人がきちゃうんだよ、もうそういう人だからあきらめなよ、あっはっはと笑っていたことを思い出した。私は、先生の手の治療が、伝わりやすいタイプだったそうだ。今でも、手の感触を覚えている。
今だからわかることもいっぱいある。もっともっといろいろ聞いておけばと思うこともいろいろあるけれど、あのときはあれでいっぱいいっぱいだった。

先生のお葬式は、奥様はお別れ会と言っていたが、私が想像する理想を超えているようにかんじた。スペインやフランスの友達たちが、同じ時間に気功をしたり、オンラインでつながったり、していたそうだ。

お葬式は、その人の生き方があらわれる。というか、自分のお葬式を想像して、毎日の生き方をみなおしてみるのを時々やってみよう、みたいに思うことがあったけれど、私は先生のそれを思うと、ただのかまってちゃんでひとりよがりだったことがわかった。

またきっと、あのお宅に伺うことになると思う。先生は、俺がいるうちに来てくれたら良かったのにと言いそうだが、つないでくれたものを大切にしていこうと思う。