「はごろも」の時のように、またイケてるおばあちゃんがでてきた。
読み進むうちに、この数カ月の苦しさは、「人をほっとさせたい」
「人が私といて安心したり心のとげとげがとけていくのを見るとうれしい」
という私の基本的な願いというか、生きてる根本というかが、
否定されているように感じるから生じているのだとわかった。
仕事をする以上、結果は出したいし、出してあたりまえだが、
そのためにいつもの私のあり方ではNGだということになっているので
無理にきつくしているのがつらくてたまらんということなのだとおもった。
まだ、どうすればいいのかとか、安心させつつ結果を出すという両立方法
はわからない。
でも、過去には、安心させるというか、もっとやる気を出させて
結果を出していたまわりの人もいたように思う。
なんで今、うまくいかないのか、わからないし、この苦しい方法を
続けていけば、結果が出るのかはわからない。
気付いたから、受け入れようと思う。
私が本当にありたい私の姿を。
そして、今はそれを職場では出すべきではないのだと。
だから自分の本当はしまっておく。大事に箱にいれておこう。
私の好きな私をダメだと思って、変える必要はなくて、
箱にしまって、大事にしておけばいいだけだ。
そして、私のまわりで起きている、いろいろな御念を、受け入れようと思った。
みんな、必要があって起こっていることなのだろうと。
師匠は、突然旅に出て、突然、たくさんの古文書(?)をもってかえってきた。
あと1日でも遅れていたら、二度と手に入ることのないそれらのものたち。
何かの力によばれて行ってきたんだ、とはっきりわかった。
いったい何の力がそうさせるのか。私もそのうずの中にまきこまれている。
ハワイに行って、日本の文化の伝わり方に疑問をもって、
代々木にきて、突然稽古をはじめてもうすぐ6年。
すべてはおこるべくして起こったことで、これからも逆らいようのないことが
たくさん出てくるのだろう。すべて自分で選択して生きてきたと
思っていたが、そうでもないらしいストーリーがうずまいている。
私の役割はなんなんだろう。
わからないけれど、決まっている。
だから、受け入れて、水のように生きていこうと思う。