毎日が本番

ライフログ

食べ物の絆

父は好きなものが決まっていて、京都のなかひがしに一緒に行ったりしたが、これは私が食べ物を好きだからだと、今は思う。最後の頃、妹の予定のせいで予定していた京都旅行にいけなくなった、ごめんね、と言われたりしたから。そのときは気づいていなかったが。

京都のたけのことか、まつたけとか、ほげほげと、、と言っていたことを思い出す。あの頃はいやだったが。

晩年、私が実家で料理を作るときは、喜んでくれていたように思う。牛肉を焼いたり、カボチャを煮たり。

 

父が亡くなる直前には、あれを食べに行ったね、とかそういう話ばっかり耳元でしてしまった。いろいろ他にも思い出はあるだろうに、思い出したり、またいこうね、というのが全部食べ物だった。

 

母が亡くなる前、病院の食事はたべなくとも、私が作ったものはひとかけらは食べてくれていた。もうだめと思っても、また次の日は食べてくれていた。何が食べたい?とか、何創ろうかな、と日々聞いたり、話したりするのを、まじめに聞いてくれていた気がする。

 

同じように、私が何か持っていけば、きっと食べてくれるのでは、と毎日思う。

私とのやり取りは、とにかく食べ物だった。ごはんの管理をしろと電話がかかってきたこともあったし、ほうれん草を3束毎週ゆでておいたりしたり、見切り品をどっさり出されて、どう料理するか悩んだり、いろいろなお菓子や松前漬けを半分こしたり。

私が小さい魚や栗が好きだというのをよく知っていてくれて、やたらとくれようとしたり。

私も、何が好きでどういう出し方が好きかとか、たぶん、誰よりもよくわかっているつもりだから、喜んでもらえるように出せる。今だったらさくらんぼだ。

桃を切るときも、おいしいところがまんべんなくいくように切って、そういう気づかいが良いと言ってもらったこともあった。

いつもいつも、もしかしたら私が、ではなくて、私に美味しいものを食べさせてくれようとしていたのでは、と思う。父も。本当は自分が食べたいのを私が食べたいことにしていることも多々あったが。

私はそれをなんとなくわかっていて、喜んだり、一緒に食べましょう、といったり、いろいろしてきたんだなと思う。

 

人と人とのつながりの中に、私の中でいつも思い出されるのは、なぜか食べ物だ。味覚と視覚と嗅覚と脳がつながっていて、いっきにいろいろ思い出す。

あのとき、あの人と食べた何か、というのが思い出されることもたまにある。

 

私が作ったごはんのこと、覚えていてくれるだろうか。

 

料理は、言葉よりも、いろいろ伝わる気がする。

 

2013年の24時間テレビでやった「今日の日はさようなら」でも、大野智さんが、コックさんが癌になる話で出ていて、家族のためにお料理をしていた。

 

お料理は身体に入っていくから、気持ちを込めると伝わる気がする、というわけでもないけれど、おいしくできるというか、その人が好きな味になると嬉しい。

 

 

----自分と料理について、覚えていること-----

・小学生のころ、同級生に食い意地貼っていると言われて、父に何か言われたような記憶がうっすらある。

 

・中学の家庭科で、ご飯をよそう手つきを先生が見て、普段からやっている、と言われた。

 

・レシピを見るのは昔から好きだった気がする

 

・大学生の時、おにぎりを大量に作って差し入れしたりしていたな。

 

・ダラスに行ったときは、ルームメートに肉じゃがのダメ出しを食らった。

 ひとりで料理したときに、気分転換になる!と初めて思った。

 

・ハワイにいるときは、自分の味の料理を食べてもらえず、悲しくてつらかった

(料理が好きだということで、やってくれていたのか、ライバル心が出ていたのか、わからないが、まいった、、、)

 

・師匠や先輩たちに「うま手」と言われた