毎日が本番

ライフログ

もしも願が叶うなら

もしも願が叶うなら、もう一度昭和に戻ってほしい

 

小学生の夏休み、父の車でラジオから流れる高校野球の放送を聞いたりなぜかキャンディーズの歌を聞いたりしながら、軽井沢の星野温泉ホテルに行くとき、何も不安がなく、これからのことが楽しみで楽しみで仕方なかった。

中学生はあまり記憶がないけれど

高校生で部活でバドミントンをしたこととか

浪人はつらかったけど、シェーキーズにみんなでランチに行ったりしたこととか

大学生になってうかれたこととか。

それでも部活がつらかったこととか、まあ一生懸命生きていた気がする。

はじめてカリフォルニアにホームステイに行ったこととか。

あのときは、日本と世界の架け橋になるのがいいなあと思ったりもしたものだ。

アメリカってすごいなあと思ったものだ。

 

昭和が終わり、平成となった。

社会人になって、テキサスへ行った。

帰ってきて、すごく働いた。

このころは、5年くらいで結婚して家庭に入るのかなと思っていた。

そういう後輩もいて「派遣っていいですよ」なんて話していた。

まだその先に「失われた○十年」のことなど知らずに。

 

いろいろうまく立ち回れなくて、かといっていろいろ正直にもなれなくて

転職もなんとなく流れでやって、流れでいろいろやって、結局、ハワイへ行った。

 

私は32歳くらいまでに子供を産みたかった。

昭和の考え方だ。そういう価値観で育ったから。

そこそこの大学へ行ったら、そこそこの会社に就職して、そうしたらそこそこの人と結婚するから、そこそこ安定した暮らしで、こどもは二人くらい?かな。

みたいに思っていた。

そういう価値観で育ってきた、同世代もいっぱいいただろうなと思う。

 

そして、気づいたら、日本に帰ってきて、就活をしたら、あなたのキャリアでは、年収○○万円がせいいっぱいだ、と言われて、ショッキングだった。転職すれば給与は上がると思い込んでいた。間があいてしまうことが、少し変わったことをしていたことが、こんなに足かせになると思っていなかった。

 

そこからは、アウトローとして、苦しみながら、まわりの人や、道場に助けられ、一歩一歩どうにかしてきた毎日だった。

 

私の価値観をかなり牛耳っていた両親が亡くなり、開放感と空虚感の中で暮らして5年以上たつ。

 

昨今の経済状態とか、コロナのこととか、自分でどうにかできないなかで、どうにか適応して生きるしかない中、昭和に戻って、両親のもとで、心配しないで、のびのびと楽しいことを楽しんで、一生懸命生きたい。

 

あれをやったらこういうリスク、これを言ったらこう言われる、みたいなことを、全方位的にずーっと毎日考え続けるのは疲れる。

 

両親の言うことには気を遣ったが、それに従っていれば問題なかった、ということも楽でよかったかな、とさえ思ったりする。まあ、そうはいかないけれど。でもそうしていたら全然違う暮らしをしていたかもとも思う。