毎日が本番

ライフログ

10年前、2010年のこと。

亡くなった気功の先生に、
「私はどうも邪気のようなもの受けやすく、逆にいいものも取り入れやすく、だから気功の先生や整体の先生が治療してくれるのを受け入れやすく、効きやすい?」
ということを言ってもらったという記事を読んで、2010年ってどんな感じだったかを読み返してみた。
https://whitekite.hatenablog.com/entry/20101117/p1

当時、私は直腸がん手術から2年経ち、仕事は普通に遅くまでやっていて(はたらき方改革以前)、師匠も元気で表の太刀や中段を習い始めた頃だった。
ボジョレーは、いつもと同じという記録があった。
これこそ、一番幸せな「いつもとずっと同じことが続いて、これからもずっと続くと思っていた」状態だった、と今思う。深く深くそう思う。

ついこの間のような気もするが、この10年で世の中も、自分も相当変わった。
あっという間だったような気もするし、ついこの間だったような気もするし、代々木に暮らして仕事も変えずにいるので、変わらない気もするけれど、私の組成が大きく変わったように感じる。

それは、周りの大切な人たち(ともしかしたら後で気づいた)とのお別れがいくつかあったことだ。


「生と死は対極ではなく、となりにある」
これは、ノルウェイの森の中の言葉。

2010年にノルウェイの森のことをちょっと書いていた。
https://whitekite.hatenablog.com/entry/20101110/p3

このときは、自分が死ぬことについていろいろ考えていたのだが、今は私と関わりのあった人たちが亡くなって、亡くなったからこそ、あらためて感じ考えることが増えたことに最近気づき始めた。もっとあのときに話を聞いていれば、と思うことが多いのだが、そのときそのときは精一杯だった。いつだって。そして、あらためて聞いたことではなく、日々のやりとりの中にこそ、大切なものは潜んでいて、そしてもしかするとそれに気づくのは、亡くなった後か、生きているけれど意思疎通が難しくなってからということがあるのだとようやく気付いてきた。

そういう意味で、
「生と死は対極ではなく、となりにある」
という言葉が、今ふたたび、違う意味で心にしみじみと何かを与えようとしている。

「じっとしていると、カラダの中が動いて、気、血、○、衛の流れがよくなるのだ」と2010年に気功の先生に言っていただいたこと、忘れていた。
以前にくらべて、年のせいもあり、ちゃっちゃと動けなくなった。そのぶん、気持ちが楽になったことも多い。それでいいじゃない、って先生なら言ってくれるだろう。
ほらまた涙が浮かんできた。

私も、先生がやっていたように、いろいろなことをよい感じに考えられるようにしていきたい。父にも「この子のいいところは明るいところ」と言ってもらったこともあるし。

2010年と2020年のちょうど間の2015年。私は両親を亡くした。これも大きな転換期。
よくまああの辛いことを毎日つらつらと記録をかけたな、と今は思う。
そして、うまいこと辛いことは忘れて、よい感じに今は思い出す。

2020年、コロナのことで、いろいろなことが変わる。私も変わるのだろうけれど、今までのいろいろなことが積み重なって、自分の中で醸成されて出てきたもので、そういう意味だと変わったようなかわらないような。私は私であり続ける。