毎日が本番

ライフログ

台風接近

今年最大というか、最近の最大の台風が接近しているとのことで、気圧が下がってきて調子が少しずつ悪くなってきている。

先月も大きい台風が上陸し、千葉では大きな被害があったため、昨日からスーパーで売り切れが出ているとのこと。今日の昼に買い物に行き、かなり買い込んで一安心。

全日本大会も残念ながら中止となった。少しだけホッとしたような気もする。
昨日は久しぶりに稽古に行き、制定ぽくやっているのはわかるがまだ軽いと言われて、まあ、だって、私がやってるんだから仕方ないよな、と少し思った。だんだん少しずつ風格が出ると良いなとは思うが、今できるのは制定らしい遣い方なので、今できるのはここまでか。

それにしても日本も変わった。
避難とか準備とかの指示?が政府やら鉄道関係やら所属団体からされるようになった。
それに従えばよいと思うことを、師匠は危険と言うだろう。

何を信じるかとか、何を察知して行動するかとかは、個人の嗅覚と判断によるところだ、という昭和な考えは、私は割と好きだ。何かが起こったとき、政府だかなんだかの公式発表を待っていて死んでしまったりするのはちょっとゴメンだ。
安心なんて自分で感じることだ。

そういえば、昔から、親にいろいろ言われても、自己判断でおやつをこっそり買ってきたり、マンションの階段で隠れてカラアゲを食べたりしていた。
親は知っていたかもしれないけれど、親もそんなことにいちいちかまってられなかったのだろう。

いずれにしても、人のせいにしたり、人の責任にしたり、文句を言うことに時間を使いたくないと思う自分に育ててくれて、親に感謝だ。
そんなことより、親が亡くなるときに、ひとりで看取って、ひとりで喪主を一ヶ月おきに2回やったとき、判断を次々としなくてはいけなかったときのことを思うと、そんなことになったらどうするんだろうな、と思う。

そこでがんばったので、神様がご褒美に、私のことが大好きな私にしてくれたような気がする。
亡くなった両親が私を好きな気持ちが、私を通して私に伝わってきているような気さえする。
師匠も私のことがきっと大好きで、だから私は絶対大丈夫な気がする。
天気の子よりも、もっと私は幸せで、自分で自分が大丈夫なのだ。
時々もうくたびれて、父に会って話したいよ、ごはんをつくりたいよ、もう死んでしまっていいかも、と思うこともあるけれど。