毎日が本番

ライフログ

最終日欠席、泊まるか否か

稽古会最終日は欠席。

残った先輩方が、何とかしてくれたとのこと。すみません、ありがとうございました。

昨晩病院に泊まったところ、昼間息が止まったりしていたとは思えない勢いで、叫びまくる母に恐怖を感じた。

認知症や、せん妄の症状とはわかっていても、ここからおろしてください。おろさないなら死ねって言うのとか、死にます!!とか叫んでいるそばにいるのは辛すぎて、トラウマになりそうだった。

娘に殺されるとか、叫ばれてしまった、、、

妹とも話したのだが、ありがとう、とか続けて言っているうちに、最期をむかえたりなどしないのだ。
そうなるなんて期待は甘かった。
現実はもっと予想外で、さらに新しい自分の身勝手さに対面するのだ。

両親とも死に目にちゃんとあう、というのも私の自己満足だ。それがよいには決まっているけれど、そのために、母の叫びをいつまでも引きずるのはどうかとも思った。
現実はもっともっとクールな、そして、予想できないものなのだ。

もし、立ち会えなくとも、割りきるしかない。ここまでやって、立ち会えなかったと思うのか、ここまでやったから、もういいとするのか、もうどちらでもいい。
そして、きっと神様は私に父の死に目に立ち会えなかった妹も本当の意味で受け入れるということを教えてくれているのかもと思った。

師匠の演武を見ていた時、その時までは、大変だねという人とか、もしもの時にもっと稽古しておけばとか言う人がいたら、きっときっと許せないと思っていたけれど、そんなこともうどうでもいいと思った。
その人と師匠の関係とか、その人の在り方とかは、その人のものであって、私にはあれこれ思う筋合いもない。
私が頑張ったことを自慢したいお仕着せのような自己満足でしかないのだ。
その人は、ただ単に、たいへんだね、と思い、ただ単に、もっと稽古すれば、と思っただけなのだろう。

ひとつ、飛び越えられる時って、突然、ふっとやって来るのだ。


母は、父が亡くなる数日前のにおいを昨日辺りから発している。一説によると、ガン細胞が死んで腐った?においとか。くさった甘いようなにおい?

いつもの母の加齢臭とは異なる、あのにおい。父はそのあと、におわなくなっていた。
母は、先程酸素濃度が81にまでなっていた。尿もほとんど出ないが、本の少しは出ているか。父は結構最後まで出ていた。人間って、いろいろだ。