毎日が本番

ライフログ

2014年 総括

8月にニューヨークへ行って以降、更新できなかった。
日々の記録がないと、自分が何をしたかわからないので、あらためて記録を続けようと思う。

年末は26日が仕事納め、27日から実家に来ている。
母はまた一段といろいろわからなくなってきたようだ。
昨年と比べて食欲があるのはよいことだが。
今朝は妹の名前で呼ばれた。一応ただしておいた。
今日が大晦日とも何度も聞かれた。

これは年越し蕎麦。

父は27日に伊勢丹で食事をしたが、その後は外食にいこうとしないので弱っているのかもしれない。
今晩はめずらしく梅酒をひとくち飲んでいたが。

今年何よりインパクトがあったのは、師匠がある病気ということが、脳の検査でわかったことだ。
昨年は一人で本当に大変だったが、五月以降、先輩にも知られることになり、それで少し王様の耳はロバの耳的に少し気持ちの負担はなくなった。とはいえ、色々気を使ったり、突然よびだされたりとか、気が休まらない。今日は二回も呼ばれて、怒っても無駄とわかっていても、おこった。
そうしないと、やっても大丈夫と思うから、ダメと言うことを伝えるために怒る。子育てもこういう感じなんだろうか。子供がいない分、老人の世話が多い。
これはいったい何の修行なのだろう。

仕事も、引っ越して、新人も入ったが、所詮は中小企業で、人柄はよくても能力の差は埋まらない。40過ぎて劣化の見られることもあり、自分がいつまで続くかもわからないが、やらざるをえない気になっている。

これはいったい何の修行だろうかと思う。

今年は後半ほとんど毎日英語でメールをかくか、話すかしていたような気がする。英語の勉強しなくちゃ、とか言う人の気持ちがまったくわからん、と何度も思った。話せても雑用が増えるだけだ。

いろいろ思うが、逃げ出しても意味はなく、いつかは残念ながら終わりが来るのだろう。その時私はきっと号泣しながらほっとするのだろう。
もうどうしようもないことだ。

そういえば、年末の宴会の時に、いつも何かしているわけではないのにこんなことを言うのはなんだが、師匠を心配していて、その世話で大変な私のことも心配している云々と言われて、気が遠くなった。
人を助ける仕事がしたいなんて、ちゃんちゃらおかしい。
身近な世話になった人ひとり、世話することさえできなくて、なんなんだよ、綺麗事言うなよ、と思った。他人を仕事として世話するのと違って、身内や師匠が変わっていってしまうのを目の当たりにしながら、喧嘩しながらも助けようともがくのはどんなにツラいかわからないよね。

何かの修行だと思った。綺麗事言うなよ、といってもこの人には無駄だと思った。そして、大丈夫と綺麗事を言ってやった。
これは何かの修行だから。いつか、これがなんだったのかわかるかもしれない。わからないかもしれない。でも、私は私の尊さを汚したくなかった。綺麗事で。どろどろしても怒っても、できることはやる、逃げないと決めたのだ。

小泉今日子さんが、30代にいろいろ逃げなかったから40代は良かったと言っていたのを励みに、40代も逃げないでなんとかやって来ている。もう少しして、50代になったりしたときに、逃げなくてよかった、って思えるといいな。というか、いつか私もいろいろわからなくなってしまうんだろうな。だからいいんだ。

来年は秋に大きな行事がある。
これが最大の修行だろうと思う。
もう少しで心がどこか一段上というか、どこか遠いところにいけそうなので、それを目指していいうと思う。

年末に行ったCT 等の検査はすべてクリア。六年たったか。
もう検査やめてもいいけど、来年末に胃カメラ、下部内視鏡、CT 一式を行って卒業ということになった。よくがんばりました。

今年は、8月にすい臓癌の先輩を亡くし、7月にはいつも宴会に美味しい料理を届けてくれていた先生が、なくなっていたと聞いた。なんと同じ病院で入院していたそうで、奥様の話を聞いて号泣してしまった。今年の正月にはお料理をいただいたのに、その時もお辛かったんだろうなと思って、涙が止まらなかった。
私はまだ生きている。だから、毎日が本番を続ける。