毎日が本番

ライフログ

家事に一日3時間くらいかかっている?_

今週のドタバタについて備忘。

12日(月)新卒ガイダンス 担当があらわれないので、1時間くらい雑談をし続けるはめに、、、

代理店とオンライン打ち合わせ。誰も資料を読んでいない。

 

13日(火)GA4講座。神保町にて。今年のGA4講座はこれで終了

 19:00~道場で打ち合わせ。ずっと飲みながら話していて、すごい武勇談のリピートで、10:30にトイレに立った勢いで先に帰った。私が席を立ったら皆帰ろうとしてかえって、結局何だったのだという感じだが一区切りできてまあよかった。

 そのあと1日分のメール100通くらいの処理で午前様だ。

 

14日(水)AM8:00 に上野を出て茨城出張。今度は泊りに行こうと思う。その時間をどうやってつくるか。従弟に血の流れを感じる。追及してしまうところとか。そして追及を少しはあきらめる歳になったのか。

 

15日(木)予定していたUA講座はなし。よかった。しかしその部分にいろいろ打合せが入る。来客もあり。

 

16日(金)AM 大手代理店と打ち合わせ。必死で営業モードになる。その後さらにまた別の代理店とオンライン打ち合わせ。誰も資料を読んでいない。

面接あり。SIerとも打ち合わせ。

 

カリキュラム作成とかレポート採点とか、全然進まない。

そして、洗濯が毎日毎日あるのと、食事を作ったり片づけたりでなんか1日3時間くらいなんだかんだいって家事やらお風呂とかいろいろかかっている。10分単位でいろいろ作業をやってもやってもすすまない。集中する時間がとれないし、できなくなってきた。メールがひっきりなしなので、ためると消したり確認がすごくたいへんだ。打ち合わせをオンラインなどでしている間はメール処理とかしていないと本当に積んでしまう

 

これが来年も続くのは勘弁したいのでどうにかならんか。

 

 

 

 

 

苦手なこと、面倒くさいこと

12月1日に記事の第一稿が届いて、8日が締め切りだったのに9日に気づくとは、かなり荒んでいる、、と思った。FBはあまり見ないとしても。

 

12月7日に大物の講座があり、10日は大掃除兼引っ越し。くたくたになった、が、11日の稽古の時に、昨日は16時までやったんだって?大変だったね、と言われて、え?と思った。私は朝稽古から18時くらいまでずーっと稼働していて、夜帰れてまだよかったと思っていたくらいなので、みんなそのくらいなんだ、、と思った。

 

そして、「めんどくさい」とか「苦手なのに」とかいわれて、パソコンの電源とかセットするのが私の係なのにちょっとびっくりした。まあ私のパソコンですが。

 

面倒くさいこと、いつもやってるよなーと思うのだけど、それは私がいうと「自分ばかり」というオーラを出しているということになるので、やめるよう努力している。

そして、私はそういえばN先生に「事務をやっている人」と紹介されたことがあり、旬となったことを思い出した。結局、私は稽古をしているかもしれないが、稽古は結局苦手というか、下手くそだから、料理とか事務とかの人ということなのだ。ひとつでも得意?があってよかったということなのかもしれないが。

師匠が全然元気だったころは、自分に誇りをもって稽古をしていて、とても良いところがあると思っていたが、今は多少接触とかそういうところの感覚はあるけど、今の人たちにはわからないし、全然意味ないよね、とあきらめている。

 

私の杖も、十手も、伝わらないし、たいしたことないし、そんなもんで、それに対して、ありがとうございます、稽古します、というしかないのだ。結局そうやって死んでいくのだ。いつか誰かがわかってくれる、とか、いつか稽古したらうまくなる、とかは幻想なのだ。

 

そして、いろいろなものを捨てた。自分の部屋もどんどん捨てよう。今捨てたくて捨てたくてたまらない。家をホテルのようにしたい。清潔にして置く感じでいいね、というレベルではなくて、結構病的に捨ててしまいたいレベルだ。実家もあるとき「ホテルみたいなのがいいねー」という時代があった。

 

あと今年は何日か。日々、作業がどんどんつまれていて、どんどん新しい打ち合わせが入ってきて、人は休むし、というのが続く。31日まで今年は続くだろう。もう本当にひとりになって、何もないところでぼーっとしたい。いろんなものを捨て去りたい。

 

鎌倉殿の義時の気持ちも少しわかるというか。これはまた別途。

今年もあと1か月

6日の最後の演武会は、ワーーーーとなっているうちに終わった。

 

その後もあれやこれやと片付けやら次をどうするやらのやり取りなどなどでごちゃごちゃな毎日だ。

あわせて、仕事も作業がすごく多い上に、出社中は相談やら調整やらでいっこうにすすまず、休日に資料を作成している毎日。

 

術後1年検診もあったんだかすらわすれそうなくらいの勢いで終わった。

何も問題なし。

インフルもワクチン4回目も終了だが、これもなんだかわからないうちにおわった。

 

そして今年もあと1か月。

更年期障害的なホットフラッシュとか生あくびとかがすごくて(マスクで酸素がすくないのもあるか)本当にしんどい毎日

家事的なものも休むひまなくある感じがする。掃除も洗濯も、料理片付けその他、やってもやってもおわらない。

どんどん物を捨て、倉庫もかりて減らそう減らそうとしているのに増える一方だ。

ここでもっと気合をいれて捨ててしまえばよいのか。

おどろくのは、10年くらい前のものの記憶がほぼなかったり、全然いらなくなってたり、という感じだ。昭和は遠くなりにけりどころか、平成もかなり遠くになりにけり、だ。

 

私がやりたいことは何か、食べたいものは何か、よく自分に問うてみるが、なんかもうそれもよくわからない。のんびりしたい。マイペースにしたい。

今は一番ものをすててしまいたいというところか。

これでさいご

10月29日(土)審査会受付 8:30集合 16:30くらいまで

 その後道場で設計図など見る。 18:30頃まで

 

10月30日(日)14:00~19:00 稽古&宴会

 午前中は諸々準備その他?<すでに記憶がうすい、、、

 

10月31日(月)第一陣外人到着、メールのみ

 

11月1日(火)仕事+夜稽古 19:30頃~ 23:00頃まで

 鶏の水炊き ついに稽古と外人対応が。。。

 23:00頃帰宅してから翌日のポークトマト煮を仕込む。

 しめ鯖を解凍

 

11月2日(水)仕事+20:00頃~ 道場で宴会サポート

 九州、松本から来客 しめ鯖、ポークトマト煮、買ってきてもらった焼き鳥を

出したりなど。フランスパンも切って出す。りごぼうというキノコをもらったので炒めて出す。チキンソテーも(ノンソルト対応)。

 この日は仕事でレポート修正があっててんぱりながらなんとか20:00に滑り込む

 

11月3日(祝・木)

 午前中は道場備品をそろえ、お土産の買い物をし、電気釜のテストをし、張り紙を作る。これでかなり消耗。途中いろいろメールが来るのも対応

 14:00~16:30稽古 フランス人、その他門人2人到着

 お好み焼きを作る。(ひっくりかえすのができないということなのだが、焼くコツは火加減とかいろいろあるのでなかなかむずかしい、、、。気にするポイントが違うのだ。こういうときに言い争いになったりするのだろうな)

 

夜中に目が覚めて、トイレットペーパーがないこととか、マジックリンがないことの指摘あり。昭和の男性という感じだ。そしてあとでおそらく親切に買ってくるといわれたが、はいどうも、という感じだ。すでにぐったり。

金曜は稽古のあと何もなし、疲れちゃうもん、という発言にびっくり。私はもう毎日疲れて疲れて、自分のできるところを何倍も超えてやっているのだが、やれる量で元気にやっているのだ、、それでいいと考えているのだ、、というかそういうもんなんだ、、と思って、がっくりときた。

 

この諸々の合間に掃除洗濯。すごくくたびれる。でもやらないと普段の生活が、、、。。。

 

そして稽古は、やはり打つと身体が折れると言われてそうだよねーとおもった

それ以外にも、頭の中は常に「どんなにやってもそもそも下手だから意味あんのか。下手だからもうどうしようもない。体力もないし。そもそも事務の人と思われてるし。」ということがぐるぐるしていた。

 

それでも、今回がさいごだ。このあとはもういろいろかわるのだ。

 

11月4日 仕事 宅急便が18:00~20:00に届く

 5日用のカレーを仕込む

 

11月5日 前夜祭 稽古9:00~17:00 合間で準備、、、、

11月6日 本番

 

ながいながいながい1週間。

 

人は自分が満足することを自分の価値観でしかやらない

ちょっと表現が昨日思いついた時とは違うのだけれど、、

結局人が人に親切?にやることとかは、自分がやったことで満足をするからするのであって、それもその人が「そうすることはいいことだ」と思うからやるのだということに気づいた。

料理のしたくを誰も動かないからリスト化しておいて、、といったらまたむっとされたので、この話題をするだけで「自分がやってる」オーラととらわれるのだと思い、いっさいするもんか、と思った。この2週間くらいはあらたな修行だ。

だいたい、いろいろやっておいたりおぜんだてしないとできなかったり、直前で決めるとかいいきっているが、それがどれだけ周りの人が不安に思ったり、早く決めてくれないと予定を立てるのに困っているか、とかそういうことはわからないのだ。

そして雑用は今日こなす、とか言いきっていたが、そんなに休みをうまいこととれなくて休日も残作業をやってなんとか仕事がとどこおらないようにしている立場のことは想像だにできないのだ。

洗濯ものだって、やってくれといってないし、自分でできると思うだろうが、ためられると不快なので、時々叫びながらもやることにしている。が、おいておけばやってもらえるとか思われていたら面倒。しかも、ほしておくと自分の分だけしまったりする。

 

いろいろいらつくが、レイヤーが違うと思うようにする。

てれびをつけながらねるので、うるさくてたまらない。耳が悪くなってきているのですごく大きい音であまりにもつらく、ついに耳栓をすることにした。音を気にせず寝る訓練をずっとしてきたのに、そこに気を向けるのがくたびれてできない。

 

ナッツの小分けもも、私にとってはタスクでしかなく、タスクを終わらせて寝たいのに、追加タスクが来るとガックリ来る。

次のタイミングで、10セットくらい用意しておくようにしたい。いらいらする。

その後少しあきらめ?たら気楽に?なったかも?

自分の役割を少しわかった、ということを松本の合宿のときの気づきとして書いた。

そのあと、演武会に向けていろいろなことが準備されたりされなかったりしていくなかで、少し自分の役割だからいいか、と思ったので面倒くさいながらもなんとかあきらめというかわりきりでやっている。

 

「面倒くさいのはやらない」と言い切られたときに、そういうのはまあありですが、面倒くさいことを誰かがやらないといけない場合、誰がやっていると思うのだろうか、、やっている人は面倒くさいと思っていないのか、と思った。が、自分がやっていて、誰もやらない、ということを少し愚痴った?ら、すごく指摘を受けたので、もういうのはやめようと決めたのだ。そういうことが気になって文句を言う人と、私はレイヤーが違うと思うようにしようと思ったのだ。

確かに面倒だが、ものごとがうまく進んだほうがよいこともある。

こういうときに、親は神様とかわかる人は見ていて理解してくれている、と言ってくれていた。でも、それさえもう別にいいや、という感じだ。誰かに理解されたくてやるのさえもう面倒臭いという領域だ。

とっとといろいろ終わればよいと思うのだ。

仕事もあと2年経ったらもう役割から退きたいと思っていて、そのあとは私のやりたいことをちょっとずつのんびり気ままにやりたいな、と思うのだ。

 

さて、一つでもタスクをこなそう。

 

人生の目標?

研修で、幸福な人生のための目標設定というテーマの話があったりした。

目標を120個とか240個とか、たてるのは大変そうだが、ちっちゃいことをいくつかかいていくことになるのかな?

 

私のあたまにまず思い浮かぶこととは

「笑っていればなんとかなる」

「毎日楽しい日々を」

小確幸

 

毎日辛いし、笑っているけれど、本心もあるかもしれないけれど、その場をとりつくろうための笑いの毎日。(とりつくろうというか、周りの人がいい感じになるように笑っといたほうがいいだろう的な感じ)

 

さいころに世話になった方にお菓子を送ったらメールがきて、メールの返信していて涙が出てしまったくらい、頼り先がなくて毎日がんばりがまんしている日々なのだ。

 

目標は昇段審査とかだが、他の目標としては、おいしいものを食べるとか、かたづけをするとか、旅に出るとか、自分を楽しませること、自分のためにお金を使うことだな、と思う。