毎日が本番

ライフログ

前夜祭 心の修行

今年の初稽古の朝稽古は10分くらい遅れてしまったが、道場に座ったら、気持ちがスッキリした。

TULLY'Sで朝ごはん、その後スーパーで明日用の食材を買う。

おでん用のもち巾着を作りつつ、1時からは講師用の説明会にオンライン参加。

3時半くらいで退席し、稽古へ。
明日の演武は十手と影と制定だ。
なぜか傷口の上あたりを打たれてかなり痛かった。放射線の影響だ。

5時半まで稽古。
かなり疲れてきたので、8時半くらいに帰った。

うちに帰って、洗濯をして、風呂に入って10時半くらいに寝る。

審査を受けるが、箸にも棒にもひっかからないだろうな。先輩らが、他の受ける人の話をしていて、私とかさらにもっとだめと思った。

なんか、陰鬱な気分だ。追悼演武会の計画も、ちょっと嫌に思った。
11月からそういう会が多すぎて、疲弊している。

いつもずっと常に、先々の手順とか段取りを気にしてせっせとやっているのだが、いっこうに減らずにしんどいことが続いている。

放射線治療 11回目 2022年初

4日からまた放射線治療

線がだいぶ消えてしまって、マーカーで書いても消えてしまう、、が、まあなんとかなった。

年末年始のお休み期間中に、乾燥が心配されたが、それはまあ思ったよりは大丈夫。ヒルドイドローションのおかげ。

痛みはほとんどないけれど、時々奥が痛い気もする。気がするレベル。

 

今日は会社は休みの人も多く、わりとゆったりとすぎた。年始に計画をしておいてよかった。放射線を受けると、やはりちょっとぼーっとするので、そうでないときの方が頭が動く感じ。

上野東照宮 初詣

1月2日はどこにも行かず、「義母と娘のブルース」を見て、時々涙する1日。

平行して、事業計画をせっせと作ってみた。

 

3日は、上野東照宮に初詣。

上野の美術館は時々行くけれど、徳川慶喜公に興味が出てきたタイミングだったので、行ってみた。おたぬき様がまつられていて、家康公はたぬきとか言われていたけれど、他抜という意味もあるのかも、と思った。

晩御飯に高島屋のまいせんでコロッケとメンチカツを買って、おせちとともに食べてのんびり。

 

結局、三が日は、掃除とか片付けをすごくしたわけではなく、事業計画を作るというのをやってみた感じで、講座の確認とかそういうことも全然しなかった。

 

おせちも、例年より少なめに作ったつもりであったが、結構多かったなーという感じ。かずのことか。もう少し少なくても来年はいいかも。

 

そしてまた明日から放射線と会社。

週末は演武会など。すぐにドタバタはじまる。

2022年元旦

8時頃おきて、毎年おせち料理を食べるのだが、今年はなぜかパンがどうしても食べたかったので、昨日いただいたパンと、コーヒーを入れて食べた。

 

一人落ち着いていろいろできる時間は貴重だ。

しかも、放射線などの影響がなく、のんびりしているので、頭がはっきりしている。

 

そういえば、1997年のお正月に、女の子の頭に花が咲くgifアニメを作って、当時運営していたホームページのトップページリニューアルをしたような気がする。1995年3月末で新卒入社の会社を退職して4月から別の会社にいったのだが、そこでホームページとか作り始めた、ような気がする。1996年かもしれないな、と思ったのだけれど、その時はまだ次の会社で働いていたような気がするから、その次のお正月かな、と思う。いずれにしても、お正月に実家の自室でせっせと手書き!のgifアニメを作っていたような記憶がある。その後、そのページはかなり人気が出たので、お正月にせっせと何かやるのもいいかな、と思った。

 

というわけで、元旦は、今後3年の仕事の計画を作ってみた。

そのために、ここ2年の数字を整理したりもした。

実は、数字で契約たてたりするのは、好きなのかも、、、と思った。

グラフとか好きだし。

 

17:30頃、明治神宮におまいりいにった。わりとすいていた。守護矢も買えた。

 

今年はこの先、私にとってはあまり違和感のない世界に行ける可能性があるので、少し楽しみではある。おかしいなーと思っても、合わせる必要がうすくなっていくかもしれないと期待する一方、自分にとってわかりやすいからと、新しい方にばかり加担したように見えるとよろしくないので、こういう時は様子を伺い、余計なことは言わないようにするのが得策と考える。

「あなたがこの会社にいつづけるインセンティブは」と聞かれて、なんだろうな、と考え込んでしまった。一応、採用した社員をほったらかしにしたら、と答えたが、それが全てではないようにも思う。

 

いずれにしても、今年はいろいろ変わっていくだろう。昨年とは違った形で。

慌てて自分の考えを言いすぎないように、周りをよく見ることが今年一番大事なことと思う。

 

ということを書いていると、実は乳がん治療中だった、ということは忘れているなーと思う。

 

もし、長時間とか、いつも気をはっている、といったような働き方でなくてよくて、もっとハイレイヤーなことができるのだったら、そしてそれなりのお金がもらえるのだったら(自分も給与アップしたい、みたいな話が出ずに)、もう少し働き続けてもいいかもな、とも思った。でも、こういうときこそ、病気が悪くなったりして働けなくなったりしたりするんだ。いろいろ思ったようにはいかないのだ。きっと今年も、気づいたらこうなった、となるのだと思う。でも、それでいいのかも。おこることにひとつひとつ誠意をもってむかっていこう、、、ある程度受け流しながら。

2021年大晦日

朝8時頃起きて、サトイモ等洗って、朝ごはんを食べて、明治神宮へ。

かなりすいていた。

その足で10:00少しすぎてしまったが、小田急デパートへいって、20人くらい分並んでたねやでお隣用にお菓子を購入。海老天だけ買いたかったのだが、大行列でびっくりして、駅そばの海老天300円を購入。マルマンも混んでいるだろうから。。。

戻って、煮物の続きを作りつつ、しらすのペペロンチーノを作ってランチに食べた。

12:30頃、お隣にお菓子を届けた。LINEで連絡すると、パンを焼いてくれるとのこと。

 

17:00頃までかかって、煮物と紅白なますと煮豚を作った。

19:00頃と言われていたが、18:00頃パンが焼けたと連絡があったので、パン2斤とカレンダー等もらう。今年もいっぱいもらったなあ。

 

19:00頃から紅白を見て、年越しそば(温)を食べた。すき焼きを食べないのは何年ぶりか。海老天がちょっとあぶらがきつくて、もたれ気味。そばは150グラム分全部食べて、それが多かったのかも。

 

紅白は途中であきてしまったのもあったけれど、最後まで見て、0:00からのダヴィネスの福袋に挑戦しようと思ったら、もう寝ていた、、といわけで今回も買えなかった。

 

 

 

2021年総括

今年は、ある意味、すごく毎日が本番だった。毎日、どうなるかわからなかった、というか、計画をたてても、たてたくても、たてたそばから、変わっていく、流されていく、というような気持ちの1年だった。

 

◆1月

年明け二日にいきなり、整体の先生が亡くなったとメールが息子さんからきた。以降、連絡もとれず、、

コロナ陽性者がどんどん増える。

例年の鏡開きはやらないことに。

六七段審査のコロナ班として参加。寒かった。。。検温も消毒も役に立っているかわからない、という感じ。

その後、帯状疱疹となる。

1月末は展示会に出展。その間に、最後の生理。結構量があった。

 

◆2月

帯状疱疹がようやくおさまる。

キャリコンはちょっと反省するように。

健康診断で女性ホルモンがE判定。急に変わった。更年期の症状も結構出てくる

 

◆3月

東日本大震災から10年。

「天国と地獄」というドラマにはまる。便利屋りっくんが大好き。

年度末だから大変だ、という立場からははずれた。というか、世の中がそれどころではなくコロナ、という感じ。

 

◆4月

新卒の会社の上司とひさしぶりに焼肉を食べた。

が、もう話題があわないというか、時代があわないというか、無理、と思った。

本格的な腰痛になって、鍼灸治療院に初めて行った。整体に行かないから。。。

緊急事態宣言が再発令されて、GWとなった。

 

◆5月

GWも稽古をして、ちょっといやなことなどあった。

17日の日曜日の稽古の後、電話で、救急搬送されてしまったことを知る。

なんとか持ち直していただけたのだが、その後、見取りになる、、、、

 

◆6月

6日の日曜日に、道場に来ていただいた。

ずーっとしゃべり続けた。これが最後の訪問になってしまったのだが、、、

この後、少し持ち直してもらえた。

 

ひさしぶりに株主総会に行くことができて、お墓参りもできた。

24日にワクチン1回目接種。

 

◆7月

18日 両親の七回忌。

6年目で七回忌なのだが、そんなに月日が経ったのかと、ブログを見返したら、本当に七回忌だった。ミニアルバムを作った。

 

23日から、東京オリンピック。無観客だが、ブルーインパルスを見たり、毎日テレビで応援したり、会社の窓から花火を見たり、盛り上がる毎日。

 

◆8月

7月末に受けた渋谷区がん検診の結果、乳がん検査で再検査となった。

検査に何度か行って、乳がんステージ1とわかる。

先輩がコロナ陽性となったが、なぜか濃厚接触者ではなかった。

PCR検査も薬局で4000円くらいで買ってやってみたら、陰性だった。

 

◆9月

パラリンピックの後半のころから、がん研有明病院にまた通うようになった。

いくつか検査を重ね、10月に手術をすることが決まった。「ルミナールb her2陰性」

 

◆10月

12日から16日 入院。13日手術。

過去の手術に比べたら、とても楽だった。

が、入院しているというのに、クレームメールが2件。対応をした。

 

いろいろな人のブログとかを見ると、結構休職したりしているのにな、なんなんだ、、と思ったりもした。

 

◆11月

3日 お見舞いに行ってよいということなので、行った。再会。そして、これがさいごの対面となった。

 

この間にすごくたくさん講座を行った。ようやく今年分が終わったと思ったタイミングで、、、

 

14日朝 旅立ち。。。

15日 さよなら会

16日 代々幡斎場へ。

18日 ボジョレ

21日 演武会

25日 診察に行ったところ、もう一つ小さい乳がんがあったとのこと。

 同時多発性乳がん、となる。ルミナールはAみたいにだ。よくわからないが、追加手術はナシ。

 

そして、稽古は続く。

 

◆12月

放射線科で診察を受けたり、CTを取ったりして、

17日からようやっと放射線治療スタート。

ホルモン剤治療は、同時に行うと、肺に悪影響が出ることがあるので、終わってからだそうだ。

会社は在宅としてもらった。

何かだるいことも多かったりして、あまり仕事ははかどらず。

帰り道にお弁当を買ったり、少しでも好きなことをしようとするが、あまり落ち着いた感じではない。

 

※洗い出してみると、恐ろしいタイミング、パズルのようなタイミングで、今年はひとつひとつのすごいことが過ぎていった。ひとつひとつ、人生にインパクトのある出来事が、はあ、と思うタイミングで次々とやってきて、ああーと流されるようにこなしているうちに、1年が経った

なんていう一年だったのだろう。もっとのんびり、ゆっくりやっていきたい。

でも、今年おこった、いろいろなことは、ゆっくりやってきて、味わっていたら、耐えられなかったかもな、と思う。

いろいろすごくストレスがやはりつまれにつまれてきていて、それが乳がんという形になったのかな、とも思う。少し入院して休みたかったし、、、乳がんというのは想定外だったが。

これからずっとこの病気ともつきあっていくのだが、再発もするだろうし、他の癌もできそうだし、とそういうことを思うようになった。

 

 

 

 

放射線治療 10回目 半分終わり 年内最終。

10:00から放射線治療10回目。

今日で半分終わり。年内はこれで最後。

10回目くらいから皮膚が赤くなったりすると言われていたので、写真を撮って比べてみたが、そこまで赤くはない。多少上の方が赤いか。時々ちょっとかゆい。

時々ちょっと奥の方が痛い気もする。左胸はなんともないので、やはりちょっと痛いのだろうと思う。

眠気もややくるが、1時間くらいでひいていく。

多少疲れやすいが、日常生活では困らない。

 

ランチは中村屋でカレー。

少し買い物などして帰る。お花を仏壇に飾った。

同居人は17時すぎに地元へ。

 

ひさしぶりに一人の時間がきた!おもちも届いた!年末という感じ。

おせち料理を少し作り始めようと思ったけれど、かずのこしかできなかった。

冷蔵庫のいろいろな片付けをやるだけで終わってしまった。22:00には寝る。

 

例年より、手際が悪いというか、いろいろやり切れない。

そうじもしておせちも作って、とどうやってこなしていたのだろう。夜中までやっていた記憶がちょっとあったりもするが、もうできない。